人生とは決断の連続だ。決断によって人生は左右されると言っても過言ではない。そこで、30代で現役引退を決意し、第二の人生を歩み始めた為末大さんと、同じく30代で日本を離れニュージーランドへの移住を決意した元アーティスト・プロデューサーの四角大輔さんに、「決断」をテーマに話し合ってもらった。vol.1では、「答えはすでに自分自身が知っている」という考えを共通に持つ二人が、自分自身が知っている答えに耳を澄ませるために、型を破ることの必要性を話した。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆)
四角:僕がこれほどまでに、型破りな人生を生きるようになったきっかけの一つは、アメリカに留学までして野球をしたのに結局、型を破れなかったという悔いがあるからです。もちろん、徹底的に型を身につけたからこそ今の自分がいるのも事実です。ところで為末さんが型を破った時期はいつ頃からでしょうか?何かきっかけはあったのですか?
為末:中高までは型を意識して練習してきました。大学に入ると、その時代のスーパースターたちのマネをして、模範解答のようなものを常に探していました。あの選手がこの練習を取り入れて速くなったから、自分もこの練習を取り入れようといった感じでしたね。
でも、そんな考えが変わった瞬間がありました。それは、風呂場で外国人選手の身体を見たときですね。身長が同じでも、骨格がまったく違う事を知りました。
それからは自分に合うものは、自分で作っていくしかないのだと思い始めました。やはり、型にはまっている以上は、自分らしさは存在しなかったですね。我慢することが努力だと勘違いもしていました。
■山頂目的に行動すると人生は苦し過ぎる
四角:ぼくも我慢することが努力と勘違いしていました。今は登山の仕事をしているのですが、子供の頃に登山で教えられたことは、「頂上に着くまで我慢しろ」でした。
頂上まで、つまり結果が出るまでは、たとえ身体が壊れても根性で乗り越えろといわれていました。それはまさに、高度成長期時代に日本で絶対だと言われていたオールドスタンダードな考えでした。
頂上で見る景色は確かに圧倒的に美しいですが、いつでも天気が良いわけではありません。山頂至上主義で登山をしてしまうと、山頂に到達した瞬間に曇っていた場合、それまでの努力は無意味化します。
山では、重い荷を背負える人間がエラい、という風潮が未だにあるのですが、それだと道中を楽しめない。ぼくは徹底的に道具を取捨選択し、できる限りバックパックを軽くします。持っていく安心よりも、身軽になる自由を優先するのです。そうすることで、山頂までの行程すべてを楽しむことができます。
為末:面白いですね。確かに、結果で努力を判断してしまうと、ほとんど結果がでない努力が続きます。競技に限ってなら結果に対する努力ではかることができますが、人生全体の結果に対してだと、どこの時点で努力をはかればいいのでしょうか。やっと、死に際にはかることができるのでしょうか。
おそらく、人生では、ここが山頂だって思うことなく、意識は途切れていき、ずっと道中のまま終わっていくと思います。ようするに、人生をはかる基準がないということだと思います。
四角:確かにそうですね。僕は人生を、縦走(じゅうそう)だと思っています。縦走とは、何日もかけて次々に山を越える登山スタイルのことです。大切なのは高さではなく距離、そして歩き続けることです。登頂を目的としないため、山頂を通らない「巻き道」と呼ばれるルートを選ぶこともあります。つまり、縦走において山頂は「単なる寄り道」とも言えるのです。
一週間かけて北アルプスを縦走したとき、20峰の山々を越えたのですが、その時改めて、頂上がすべてではないと思いました。為末さんにお聞きしたいのですが、オリンピックでメダルを獲得した瞬間の景色と感動はどうでしたか?
為末:メダルを獲得できても、その瞬間に見た景色は過ぎてしまいますからね。当初、ぼくは、メダルが取れた際には、抱えていた色々な悩みが解決するものだと思っていました。
でも、実際に獲得したら、1週間も経てば次の挑戦が始まっていました。景色は過ぎ去ってしまうので、山頂目的に行動すると人生は苦し過ぎますね。
四角:登山でも人生でも、山頂至上主義にハマってしまうと、身体や心の崩壊につながりやすいですね。歩き続けるために、スローダウンしたり「逃げ道的な」安全路を選択する勇気も必要です。
言い方を変えると、ぼくらが教え込まれてきた「山頂主義」というオールドスタンダードの「型」を破ることが重要だと思うのです。
けれど、型を破るためには、誰かのサポートが必要というのが僕の考えです。為末さんは18歳以降、指導者を付けていませんでしたが、コーチ的な人は周りにいましたか?
為末:母親でしょうかね。ただ、母親はまったく陸上のことを知らない素人です。それでも、あるとき、「いつもと違うね」と言われたことがあります。何か違和感のようなものを感じたらしいのですが、ずっと見てくれていた人がいう威力はすごいじゃないですか? それを言われたときには、考えましたね。
ぼくは、違和感は嘘をつかないと思っているので、自分でも感じた違和感には、無視しないで、向き合います。
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四角大輔|Daisuke YOSUMI
Lake Edge Nomad Inc.代表/
ソニーミュージック、ワーナーミュージック在籍中に10数組のアーティストを担当し『無名の新人をブレイクさせる達人』と称された。掟破りを信条とし、イノベーティブな仕掛けを次々と展開。数々の年間1位や歴代1位、20回のオリコン1位、7度のミリオンセールスを記録し、CD売上は2千万枚超。現在は、原生林に囲まれたニュージーランドの湖畔と東京都心を拠点にノマドライフをおくりながら、企業やアーティストへのアドバイザリー事業、執筆及び講演活動、フライフィッシングやトレッキングの商品開発などを行う。登山、アウトドア雑誌では表紙にも頻繁に登場。上智大学講師を務め「ライフスタイルデザイン/セルフプロデュース」をテーマとした講義を複数の大学で実践。「ソトコト」「PEAKS」「フィールドライフ」「Fly Fisher」などのネイチャー系雑誌にて連載中。著書に「自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと」「やらなくてもいい、できなくてもいい~人生の景色が変わる44の逆転ルール」Fly Fishing Trip(共著)」。
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為末大:
1978 年5月3日広島出身世界大会において、トラック種目で日本人初となる2つのメダルを獲得した陸上選手。 『侍ハードラー』の異名をもつ世界ランク5位(自己最高)のハードラー。 身長の大きい選手が有利である中、170 センチという体躯ながら、ハードルを越えるテクニックで世界の強豪と対等の戦いを展開する。 2001年世界選手権で、銅メダルを獲得。2005 年ヘルシンキ世界選手権で、豪雨の決勝の中、銅メダルを獲得。2012年に現役を引退。11月22日には、著書「走りながら考える 人生のハードルを超える64の方法」を発売予定。為末大の生き方、考え方、挫折や苦悩、恥など、心の中に立ちはだかるハードルをいかにしにて乗り越えるのかなど、生き方のヒントとなる考えが収録されている。
・為末大学