半年後、門田さんは再びケニアを訪れた。日本での半年間、エイズについて、そして英語やスワヒリ語の勉強に精を出していたという。英語は、大学の課外授業である英会話教室に毎日通い、「朝起きて一分後には英字新聞を読んでいた」という徹底ぶり。
二度目に訪れたときにエイズ孤児と出会い、彼らが差別を受け、まともな教育を受けられていないことを知る。この問題を「どうにかしたい」と強く想い、帰国後に仲間を入れて7人でプラスを設立するに至った。
卒業して2年間は、バイトをしながらプラスを運営。不安はなかったのだろうか。「バイト生活がずっと続いたらどうしようと不安になったことは、一度もない」と言う。更に「とにかく夢中だった。先のことよりも、今やりたいことを、そのままやりたいんです」と、語った。
■プラスの活動
エイズ孤児は、親戚や地域の人に引き取られるが、その家庭で差別があると、学校に通えなかったり、一緒に食事をさせてもらえないという。
プラスでは奨学金は出さない。学校を支援するのだ。学校をきちんと改築し、通いやすい学校にする。エイズ孤児は学費を無料にし、その際の学校経営について一緒に考える。
学校だけで健全な経営できるようになったら、プラスは撤退するという。「知識を提供し、現地の人たちだけでやっていくことが大切」と、門田さんは話す。