タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆脱東京

「固い人生はいいが、固い頭はどうにもならないな」と呟きながら平井が気の毒になった。
色黒のとがった横顔は時には関西の漫才師のような愛嬌も見せるが、少し出っ歯で口を歪めて笑う時など実に姑息な顔をする。しかし何か写真の様な物を取り出して見ているその顔はとても気の毒に見える。組織がバックにあった時の顔と組織がなくなってしまった顔はなんと違うのだろう。俺は違わないぞと思ったが、本当にそうか確かめて見たくなった。
トイレに向かうと携帯が鳴った。末広の野太い声がした。
「今から八ヶ岳に行くが一緒に来ないか」
「行きますよ」
何も考えずに返事した。何かが軽くなった。振られるのも気楽だし、クビになるのも気楽だ。
断るのが俺には苦手なんだ。
「ではすぐ来てくれ。詳しい話は車の中だ」
啓介はそのままエレベーターに乗った。自分かどんな顔をしているかなんて問題ではない。若竹を右に見て橋を渡った。若竹は今晩も休業だろう。
左に曲がるとすぐコインパークがあった。末広が車に何かを積んでいた。

ソーラーパネル

ソーラーパネルだった。
啓介は黙ってソーラーパネルを一枚持ち上げた。思ったよりは軽かったが畳み一畳よりは小さいもののトラックの荷台に持ち上げるには、バーベルを持ち上げるように頭の上に差し上げる必要があった。
「ぶつけるなよ」
「大丈夫です」
「危ない」
「大丈夫です」
「君の事が心配なんじゃねえ。パネルが心配なんだ」
怪我は放っておいても直るが、パネルはオジャンだ。
「保険は言ってないんですか?」
「入ってない。今入るか」
「金あります?」
「今ない」
「ではゆっくりやりましょう」パネル20枚が荷台いっぱいに敷かれた段ボールの上に並べられた。
「普通は箱に一枚一枚入ってるんだが、これは中古だ」
積み終わると末広が運転席のドアを開けた。啓介は「俺が運転ですか」
と言って気が付いて苦笑いをした。まだ時々アメリカにいる気分で人の車の運転席に乗ろうとしていた。
「間違えました」
乗り込んできた末広がイグニッションキーをまわすと、古いハイラックスはブルット車体を揺らせて乾いた音をうならせた。末広がレバーをリバースに入れると車はゴンと言ってなにかにぶつかった。末広は頓着せずに駐車場を出た。啓介も何も言わなかった。
ぶつかったのが出口の鉄柱だと分かっていたからだ。
「保険に入りましょう」と言って啓介は思った。
おれは初めて人のために保険をセールスしている。
今まではどうだ。売り上げのために要らない人にも売りつけようとしていた。
「啓介商売ってこうでなければならないんだよ」
自分の声が頭の奥で響いた。
「入るよ。なんでもかんでもはいるぜ」

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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