大学に通いながらの仕事は、国際病院での通訳の仕事だった。数年勤めたあと、日本の美容院がプノンペンに進出するという話を聞き、病院を辞めて美容院での仕事を開始した。「大学生のあいだに、色々なことを経験して学びたかったんです。自分が本当に何をしたいのかを知るには良い機会だし、日本のサービスを実際に学びたいと思いました」と、当時を振り返った。

しかし大学を卒業する1年前に全ての仕事を辞め、1年ほどは通訳などをしながらフリーランスとして活動していたという。それも「自分の人生について考える時間が必要だったから」と話した。

考えた末、「就職して40歳くらいまで働き、その後にボランティアか事業を興して社会に貢献していこう」と思ったケムラさんは、日本の病院がプノンペンに進出する話を聞き、そこで働くことを決めた。

まずは日本で3か月の研修を受けなければならず、ケムラさんが再び日本へとやってきたのは、2011年3月7日のことだ。その4日後、あの東日本大震災が起こった。初めて体験する大きな地震に、「死んだと思った」と言う。

日本が混乱状態のため、病院の進出の話も中断となり、ケムラさんはカンボジアへと帰国した。通訳として仕事をしていくことも可能であったが、地震が起きたときに死を覚悟した彼女は、もう何かを後回しにすることはできなかった。

「40歳くらいになってから社会貢献しよう」と思っていた彼女は、震災をきっかけに「いつ死ぬのか分からないのだから、今すぐにやらないとダメだ」と思い直したのだ。「死が頭をよぎったとき、『まだカンボジアのために何もできていない!』という思いが消えなかった」と言う。

サロンには男性の従業員もいる。従業員同士の練習は欠かさない

カンボジアの発展のために

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