「小さい頃から海外へ留学したいという思いがあった」と話すケムラさんは、テレビから流れる外国の景色を見て、夢を膨らませていたという。「外国に行けば、もっと沢山のことが勉強でき、様々な技術や価値観に触れることができる。そしてそれを、カンボジアの発展に貢献したい」と、6人兄弟の末っ子であるケムラさんは、固く決意した。
カンボジアでは、英語を話せる人は多く存在する。そのため、「良い仕事に就くには、英語以外にもう一つ他の言語を習得した方がいい」という父親からのアドバイスを受け、中学2年から日本語を学び始めた。
なぜ、日本語だったのか。その問いに、「カンボジアのテレビ番組で、日本人の仕事ぶりを紹介していて、興味を持った。少し堅いけれど、面白そうだなと思った。そして、カンボジアに対しての支援の話も沢山聞いていたので、印象がとても良かったんです」と語った。
小さい頃に抱いた夢を叶えるため必死に勉強した彼女の日本語は、高校卒業の時点で、国内ではそれ以上レベルを上げることができないまでに上達していたという。そしてついに奨学金がおり、日本への留学の切符を手にした。
大阪での1年の留学を経たケムラさんは、カンボジアに帰国後、プノンペン大学へと進学する。カンボジアでは、首都プノンペンでも大学まで進学できる人はごく僅かだ。「高校を卒業するのがやっと。学校へ行けない人もまだ沢山いる」と、ケムラさんは話す。
ケムラさんは自分の学費を稼ぐために、大学は夜に通い、昼間は仕事をしていたという。その生活を4年間続け、彼女は無事に大学を卒業した。
■東日本大震災で気付いた思い