人口3500人いる町民の9割が漁業関係の仕事に就く東北の港町で、農業に汗を流すお母さんがいる。手作り野菜を箱に詰め全国へ配送している。その町では、農業だけでは十分な収入が得られなく、営むお母さんたち自身も、売ることを諦めて家族や隣近所のためだけに作っていた。販売するために、野菜を作りだした背景には、この地に移住してきた若者がいた。(オルタナS副編集長=池田真隆)
この動きが起きているのは岩手県陸前高田市広田町で、先導しているのは昨年8月、この地に東京から移住してきた煙山美帆さん(23)だ。煙山さんは、震災発生後から友人らが立ち上げた復興支援団体であるNPO法人SET(セット)に加わる。同団体の支援先であった広田町を訪問していくに連れて好きになり、現在は副代表理事を務めながらこの地に住みこみながら支援活動を行う。
手作り野菜を配送するサービスは今年6月から開始した。広田町で農家を営むお母さん4人が協力し、月限定20箱で販売する。2600円、3000円の2セットと季節ごとに送られるパッケージ(15000円)もある。値段には配送費も含まれている。7月8月は20箱完売した。
煙山さんは野菜を通じたコミュニティー作りを考え、「全国の人が野菜を食べたことがきっかけで、広田のお母さんに会いにきてくれたらうれしい」と話す。今後は、生産者と食事をするランチ会や農業体験ツアーを企画する予定だ。
■「どうせ売れない」
この事業がリリースするまで、紆余曲折を経験したと煙山さんは振り返る。広田町では、震災が発生してから4カ月後に有人の産直販売所は再開したが、人が買いに来なくて売れ残りが問題となっていた。
大きな転機は、2012年9月に起きた。セットが東京から来た社会人10人ほどのボランティアコーディネートを行い、広田町の農業生産者と交流する機会を設けたときだ。その会で出された野菜料理に、東京から来た人々は、「美味しい、この野菜は買えないのか」とお母さんたちに尋ねた。普段、地元でしか食べなく、商品として売ることは難しいと決めつけていた野菜に、賛辞の言葉を投げかけられ、お母さんたちはとまどっていたが、うれしそうに会話を続けた。
煙山さんはその様子を見て、「何か変わるかもしれない」と可能性を感じたと話す。「これまでは、作っても売れないと諦めていたが、話しているお母さんの顔を見ていると、今の状況を変えられるものなら変えたいと思っているように見えた」。
翌日、煙山さんは広田町の生産組合に企画を提案しに行く。しかし、返事はノーだった。昨夜の交流会では、話は盛り上がったが、これまでの販売実績を考慮すると、売れるわけがないとの理由からだ。広田町は漁師町であるので、農家の収入は低く、月4000~5000円、多い人で10000円ほどだ。ほとんどが、兼業農家として営む。
だが、煙山さんはそれでも諦めなかった。断られた次の日から2週間をかけて説得に動いた。作り手の顔が見れる地方産の食材が流行っている資料を作成し、個別に家を訪ねた。そのかいあり、生産組合の長から、「そこまで言うなら、やってみればいい」と返事をもらう。
11月と12月にはサンプルとして10箱ずつ配送し、手応えを掴んだ。公式サイトの製作に取り掛かり、6月にオープンした。野菜のレシピ方法や、作り手のお母さんたちが紹介されている。届く箱の中には、広田町の「おすそわけ」文化を伝えるために、小さな袋に野菜が詰められた「おすそわけ袋」も入っている。「大切な人におすそわけしてほしい」と煙山さん。
お母さんたちの意識も変わった。「もっと多くの人に、自慢の野菜を食べてほしい」という声も聞こえだした。「ここでは、女性の役割は漁師を支える妻が主だった。けれど、自分たちでもできるということを実感して、少しずつ動き出している」と煙山さんは話す。
「岩手県陸前高田市広田町からお届けする手づくり浜野菜 おすそわけ便。お母さんが家族の為に作っている安心・安全で真心こもった手づくりの浜野菜は、今まで町内でのみ消費されていました。しかし、2013年6月から都会へとおすそわけするという新たな『夢』を追いかけています。これはまだ『夢』の途中。これから繋がる『夢』へと、一歩一歩、ただひたすらに歩んでいきたいと思いますので、皆様にも見届けていただけますと嬉しいです」――煙山美帆