社会の課題や不平等に違和感を持ちソーシャル・ビジネスに挑む若者たちが増えている。その若者を支援する中間支援団体の動きも活発化してきた。社会変革活動を行う企業や団体へ支援を行う日本財団の笹川陽平会長に、若者を支援する意義を聞いた。(聞き手・オルタナS副編集長=池田 真隆)

日本財団の笹川陽平会長

――今年は、東京大学と組み、小・中学生で能力に秀でた「異才児」を支援するプロジェクトや、民間養子縁組団体への支援強化事業を新たに取り組みます。若者たちを支援する意義を教えてください。

笹川:社会を変革してきたのは、いつだって若者たちです。でも、悲しいかな、そこを見落とされがちなのです。その原因の一つは、「グッドニュースイズバッドニュース、バッドニュースイズグッドニュース」という考えがあります。読まれるニュースは、基本的に悪いことだとされています。

だから、いつの時代も若者の悪い点だけがフォーカスされて、それが若者批判へとつながるのです。

――世の中的には知られていませんが、社会変革を目指し活動する若者たちは着実に増えてきています。安定志向が強まる中で、オルタナティブな選択肢を取りますが、イキイキと過ごしているように見えます。

笹川:オルタナティブかメジャーかはどうでもよいことです。そもそも、メジャーという言葉がいけませんね。メジャーかどうかは、自分の心が決めるのです。ところが、みんなブランド志向になりがちです。

一流企業に就職できたらメジャーと言われています。その企業の中で、我慢しながら働いている人と、地方で、朝日とともに起きて、土に親しんで自分の精神を解放して暮らせれば、こんなメジャーなことはありません。

環境や仕組みが整ったなかでは、社会を変えるほどのインパクトは起こしにくいものでしょう。

――笹川会長が若い頃に経験したことで、今に生きている経験はありますか。

笹川:胸に刻んできた言葉があります。それは、「知識は行動の僕である」というものです。みんな知識を得ることが重要だと思って勉強します。しかし、学者は別ですが、知識は蓄えるだけではなく、行動するためにこそ必要なのです。

だから、失敗を恐れてはいけません。ぼくは20歳のころ、孤独感を感じながら過ごしていました。高野山に閉じこもって修行したこともあります。その頃から、考え方を変えました。この孤独は、きっと精神を強くするのだと信じました。

苦しみを楽しみへと変えていったのです。人間がしたことは、必ず人間が解決できるものです。楽観主義こそ大事です。日本人は真面目すぎて、どんどん内へ内へと考えて、閉じこもりがちです。

しかし、こういうことを言うと「大人は無責任だ」などと言われますが、そう思う若者は毎日酒を飲んでみてほしい。毎日遊んでみてほしい。そうすると違った景色が見えてくるはずです。中途半端が一番良くないのです。

――社会変革を目指す若者たちへメッセージをください。

笹川:若者の最大の特権は、失敗が許されることです。中年を過ぎたら失敗は許されません。失敗を恐れずにどんどん経験を積んでください。それが、いずれ花を咲かせるのです。

充実した人生は個が決めます。多くの人は社会の中の自分を見て幸せを決めますが、自分の心としっかりとした対話ができるかどうかが充実感を決めるのです。

笹川陽平:
1939年1月生まれ。明治大学政治経済学部卒。現在、日本財団会長、WHOハンセン病制圧特別大使、ハンセン病人権啓発大使(日本政府)、ミャンマー少数民族福祉向上大使(日本政府)ほか。40年以上にわたるハンセン病との闘いにおいては、世界的な制圧を目前に公衆衛生上だけでなく、人権問題にも目を向け、差別撤廃のための運動に力を注ぐ。ロシア友好勲章(1996)、WHOヘルス・フォア・オール金賞(1998)、ハベル大統領記念栄誉賞(2001)、読売国際協力賞(2004)、国際ガンジー賞(2007)、ノーマン・ボーローグ・メダル(2010)など多数受賞。著書「この国、あの国」(産経新聞社)、「外務省の知らない世界“素顔”」(産経新聞社)、「人間として生きてほしいから」(海竜社)、「若者よ、世界に翔け!」(PHP研究所)、「不可能を可能に 世界のハンセン病との闘い」(明石書店)、「隣人・中国人に言っておきたいこと」(PHP研究所)など。