福島出身のタレント・なすびがエベレストに登頂する企画を立てている。狙いは、復興支援の気運を高めるためだ。東日本大震災から3年を迎えた今、「もう一度あの頃のように、支援の意識を高めたい」と意気込む。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆、オルタナS編集部員=佐藤理来・伊藤由姫)

「ふるさと福島をもう一度盛り上げたい」と話すなすびさん

――なすびさんがエベレスト登頂を企画したのは2回目です。前回は惜しくも、数百メートル手前での下山となりましたが、今企画にかける意気込みを教えてください。

なすび:正直に話すと、今回の企画は、思いつきでしかありません。エベレスト登頂を達成しても直接何かの支援になるわけではなく、間接応援にしかならないので、「売名」と言われることも覚悟しています。

でも、ぼくは本名でボランティア登録し、地元福島にボランティアに震災直後から複数回通っていました。呼ばれてもいないのに、勝手にドロかきやがれき撤去のお手伝いに行きました。作業中に、地元の人がぼくに気付き、「あれ?なすびじゃない?」と周りに集まってきてくれることが多々ありました。

そのことを通して、もしかしたら、ぼくには何かほかのことができるのではないかと思い始めました。そこで、もう一度、ぼくのふるさとである福島の復興を盛り上げていくために、単純明快な方法で世界中にアピールしたいと考えたのです。

――エベレストに登ることで、復興支援の気運を高めるとともに、福島の人に元気を与えたいと考えています。なすびさんが感じる福島の課題は何でしょうか。

なすび:今、福島に住む人たちは何が正解なのか、何を信頼すれば良いのか分からなくなっていると感じています。放射能に関しては、専門家によって意見が異なるし、国としての方針も定まらずにいます。

事件当時に福島に居たということで、結婚が破綻になったり、差別されることが実際に起きています。子どもにいたっては学校でいじめを受けるケースだって出てくると予想されます。

だから、少しでも元気を与えて、福島出身者としての自信を持ってもらいたいと思っています。そして、元気を与えるために、「がんばれ」や「がんばろう」とは言えませんでした。なぜなら、もう地道に努力を続けている人がいるからです。ぼくは、そのような人たちの心の支えになれればと思っています。

■ある夫婦との出会い

――なすびさんは原発についてどのようなスタンスでおりますか。

なすび:ぼくが「脱原発」と声を上げたら、賛成と反対の2部に分かれてしまいます。そうすると、どちらかをないがしろにしてしまうでしょう。ぼくは、反対の人をつくりたくないのです。みんなで一緒に、解決策を考えていければと考えています。

――福島への地元愛は強かったのですね。

なすび:震災以前に、福島県のローカル番組のMCを5年間務めていました。その関係で、全市町村を周っていたので、愛着を持ちました。

どうしてもマスコミはセンセーショナルな話を聞きたがりますが、そればかりではなく、地道に一緒懸命がんばっている人がたくさんおります。

――人との出会いで印象に残っていることはありますか。

なすび:2012年の2月に南相馬市のある地区に行きました。そこは、立ち入り規制が解除された場所でした。そこで、2週間ほど、農家を営む50代夫婦の家のがれきを撤去するボランティアを行いました。

そこの家のご主人に、「なすびくんじゃないの?」と気付かれ、そのときは、楽しく話しながら、「また来ますね」と言い残して帰りました。

そして、今年の1月に、仕事の関係で南相馬市の近くに行くことがあったので、お手伝いをした家に立ち寄りました。ご主人と再会し、福島で住むことに決めた思いを聞きました。

ご主人は奥さんと一緒に、事件後、山形に避難していました。息子夫婦が宮城に家を構えたので、「一緒に暮らさないか」と言われたそうですが、やっぱり慣れ親しんだ土地を選んだのです。

最初は、もう二度と地元には帰れなくなったと諦めていたそうですが、毎日来てくれるボランティアのおかげで、もしかしたら戻れるかもと希望を見出していったと、言います。

今は、奥さんと二人で野菜の栽培をしていますが、悲しいことに残留濃度の高い作物は出るそうです。それでも、前を向きながら、懸命に生きています。

■笑顔の裏に、辛い過去

――今回は登頂にかかる予算600万円をクラウドファンディングで集めています。

なすび:登れるかどうかの判断を世間にゆだねようと思ったので、使いました。前回は、失敗し、人生でかつてないくらいに泣きました。
でも、支援してくれた人たちだけでなく、全然知らない人からも「お疲れ様」と声をかけられました。結果だけでなく、過程や経緯を知っていたことがうれしかったです。

その経験から一つ決めたことがあります。それは、けじめをつけることです。

前回、登山中に死体を横目にしていたので、今でも登ることへの恐怖心はあります。7000~8000メートルの高さになると、一歩歩くだけでも、全力疾走しているような気分になります。

でも、絶対諦めないで挑戦していくことが大切だと信じています。このことは、精神的に辛かった懸賞生活を乗り越えたことで、多くの人から応援していただき元気をもらった過去の経験から実感しています。

登頂を成功させ、笑顔の連鎖を起こしたいです。ぼくはよく、「よい笑顔するねー」と言われます(笑)。笑顔の連鎖をつなげていけることができるのかもしれないと思っています。「笑う角には福来る」ではないですが、顔を上げて笑って復興を盛り上げたいですね。

――なすびさんの笑顔の裏に何があるのでしょうか。

なすび:実は、若い頃は、この顔がコンプレックスでした。「顔が長い」と言われ、小学校から中学校まで、いじめを受けていました。親の仕事の関係で、転校を繰り返していたので、転校するたび、顔のことをからかわれていました。でも、おかしな顔を生かして、「笑い」に転換したら、いじめていた子たちが、たちまち笑顔に変わりました。

転校するたび、最初はからかわれるのですが、機を見て笑いに変えることを繰り返してきました。周りが笑顔になると、自分も楽しくなります。

福島と言えば、「原発」というイメージが先行しています。このイメージを、ポジティブなものに変えていきたい。ぼくががんばることで、もう一回福島の人たちに笑顔を送りたいです。