クラウドファンディングを利用して本屋を開業された、宮崎勝歓さんにお話しをお伺いしました。書店アルバイトから一転、本屋の店主を兼任することとなった宮崎さん。36歳フリーターであった宮崎さんがなぜ自分のお店を持つにいたったのか、そして、なぜクラウドファンディングを利用したのか。(寄稿・wanderer=喜田 貴弘)

「人と人との出会い」がある本屋になりたいと話す

「人と人との出会い」がある本屋になりたいと話す宮崎さん

――事業内容とコンセプトを教えてください。

宮崎:事業内容は書籍販売で、新刊と古書の両方を扱っています。新刊は直取引を中心に独自に選書をしています。あとはギャラリースペースの提供。若手芸術家向けにアートの発表の場を設けています。通常の貸しギャラリーよりは安い値段で場所を提供して、これから何かをはじめようとする人を応援していきたいと思っています。

コンセプトは、「人と本との出会い」「人とアートの出会い」「人と人との出会い」です。まず「人と本の出会い」についてですが、書籍は1日あたり200点の新刊が毎日出ています。そうするとほとんどの人にとって、出会う本よりも、出会い損ねている本が圧倒的に多いはずなんですね。

特に、普通の本屋さん、一番行きやすい駅前の本屋さんとかだと、今ヒットしている話題の本とかで、どこの店に行ってもだいたい同じような本しか置いてないっていうケースが多いと思うんです。だから、ちょっと違った本とかあまり目立たない本に、ここで出会ってもらえたらいいなということです。

例えば、ジュンク堂さんや紀伊国屋さんなど大きな書店なら置いてある本でも、棚に差さっているだけだと、本が多すぎてそこに目が行く可能性が低いんですよ。それに、この手の本は中小の書店だと最初から入荷がないので、出会い自体がありません。なので、その中間の存在として、マイナーだけどいいなっていう本を一押しすることで、知らずにいた本にめぐり会って欲しいという思いがあるんです。

「人とアートの出会い」は本を見に来た人がアートに出会い、逆にアートを見に来た人が本をみてこんなのがあるのかっていうのがいいかなあって。「人と人との出会い」、これは難しいんですけど(笑)。

ここで何かまあ、例えばイベントをしたときに知り合いができたりだとか、あと僕を介して、「あ、この間同じ本を買ってた人がいましたよ」って。で、またその人がリピーターとしてきてくれたらそういうお話ができるので。

普通、本屋さんでいい本みつけてうれしいんだけど、「この本めっちゃ探してたんですよ」っていう会話ってなかなかないじゃないですか。だから、もうちょっとコミュニケーションをとれるような場として何かできないかなって。人と人との出会いは目標です。

――店名の由来、意味、込めた思いなどを教えてください。

宮崎:名前そのものは、1997年のカナダの映画で同じタイトルのものがありまして、個人的に好きな映画で名前をいただきました。スウィートヒアーアフターは、「穏やかなその後」と訳されます。

何かというと映画ではカナダの田舎の村でスクールバスが転落事故を起こして、子供が1人だけ生き残って、あとは全員死んでしまうという悲劇が起こるんですね。そういう悲劇が起こって、色々あるけれども、それでも人生は続いていく、残された人たちにとって。辛いこととか隠しておきたいこととか、目をつむっておきたいことはあるけれども、それでもなんとかやっていこうというニュアンスの終わり方なんです。

僕自身が20代をかなり棒に振ったというまではいかないけど、大学院で苦労をして、不遇の時代が(笑)。自分で不遇の時代というのもあれですけど、僕自身に「穏やかなその後」が来て欲しいという意味と、9・11以降の世界、そして3・11の震災があった後の日本社会全体にも「穏やかなその後」が来て欲しいなと思っていますし、そういう個人的な問題と社会的な問題と両方含めて、穏やかなその後が訪れたらいいなという思いで名付けました。

――そもそも開業に至ったきっかけはなんですか?

宮崎:まず、僕は普通の書店のアルバイトを3年間やっているんですが、半年契約のアルバイトでいわゆるフリーターです。それでも書店バイトで食べていけたらまだなんとかなるんですけど、もう正直食っていけない状況なんですね。

それで何か打開策を見つけなくてはいけないということがあったんですけど、なかなかうまくいかなくて。そんなとき、たまたま大学時代の恩師に会あって、いろいろ話する機会がありました。

そこで、たぶん先生もそこまで深い意味はないと思うんですけど、「まあ将来は、自分の店持つのが一番いいよね」っていう一言があって、たいそうなこと言うなあってその時は思ったんですけど。

でもその1週間後くらいには、まあこれだけの本が自宅にあって、「これはもしかしていけるんちゃうか」っていうふうに思いついたのがきっかけです。それまでは僕、古本屋とかブックオフとかに本を売ったことって一回もなくて、取っておきたい主義だったので。でも、あるとき突然、ぱっともうこれ持っててもしゃーないやんって急に切り替わって。

それともう一つあるのが、去年の9月に元町の海文堂書店が創業99年で閉店して、後継ぎなんてたいそうなことは言えないですけど、海文堂書店が無くなったっていうのも影響していて。

じゃあ海文堂書店が健在だったら僕がここでやっていたかというと、多分やっていないかなあと思います。よく通っていたので、思い入れが強かったんですね。無くなったことの衝撃が強かったです。

――クラウドファンディングを使ってよかったと感じたことはあったか。

宮崎:よかったことはたくさんありますね。まず手持ち資金がなかったので、これしかなかった。金融機関の融資は見込めなかったので。見ず知らずの方から温かいメッセージを頂いたり、高校の同級生で、3年間一度もクラスも一緒でなくて、喋ったこともない人だったんですけど、そういう方で支援してくれる方も数人いました。

あと、たまたまここのビルで、昔雑貨屋さんをやっていた人が、ツイッターでたまたま拾ってくれて、「わたしここでお店やってました」という奇跡的な出会いもありました。

――開業決意後、各地の古本屋さんに取材をされたということですが、なぜですか。またそのなかで考えや心境の変化はありましたか。

宮崎:本棚はどうするのかとか、内装とか、いろいろ含めて、開業するのに何が必要で、どのくらいかかるかを神戸、大阪、京都の古本屋さんにいろいろ聞きました。まず神戸の「トンカ書店」さんが面白がってくれました。「やめといた方がいいよ」とは言わなかった。

あちこち回ったなかで一件、大阪に「本は人生のおやつです!」という面白い名前のお店があって、そこにお話を聞きに行ったときに、僕今は本屋でバイトをしていて、今度古本屋さんを開業したいっていう話をしました。「それやったら今のバイトをやめないで、兼業でやったほうがいいよ」っていう提案をしてくれて、それが僕にはすごい衝撃だったんですよ、

考えてもみなかったので、「あー!そういう手があるのか」と思いましたね。ただでも一人暮らしで専業で食ってくのはかなり厳しくて、実際掛け持ちしている人もいるんですよ。それで、兼業したほうがいいよって。

まあそれはお金の面と、その兼業の内容が僕の場合、本でしたから。新刊の情報にふれるわけじゃないですか。だからそういう意味でも、「二重の意味で兼業できるんだったら絶対に兼業したほうがいいよ」と言われて、あーなるほどなーって思って、それは採用しました。

あとは、新刊の店で僕が一番好きな大阪の「カロ」さん。普通の本屋さんって、「取次」っていう本専門の問屋があるんですけど、そこと取引するには、数百万円必要らしくて。じゃあもうとても無理じゃないですか。

それで、「カロさんはどうしてはるんですか」っていうのを聞いて、アンケートに答えるだけで取引させてくれる「子どもの文化普及協会」さんがありますよって教えていただいて……その場でスマホにメモって、家帰ってすぐに検索しましたね(笑)。

あとは新刊ではあれだけど、古本屋さんって結構横のつながりが結構あるので、ライバルっていうよりは仲間として迎えてくれるような雰囲気があります。普通の新刊書店で、レジに行って「お店開きたいんですけど」って絶対ありえないじゃないですか。まあ古本屋だからこそできることっていう感じでしたね。

新しいタイプの「小さな本屋」をめざす

新しいタイプの「小さな本屋」をめざす

――なぜこのようなタイプの本屋にしたのか、内装にも力をいれるこだわりの理由はなんですか?

宮崎:内装について、そんなにこだわってはいなくて、唯一こだわったとすれば、あまりしゅっとしすぎないように。これはあの関西弁のニュアンスがうまく伝わるかどうかっていうのがありますけど、あまりスタイリッシュすぎると、敷居が高すぎるから、親しみやすい店にしてほしいっていう意見が結構あったんですよ、事前に。

それと、せっかくいいビルを見つけたので、ビル全体の雰囲気に合わせるっていうのとで、この2つくらいです。書棚の配置とかちょっとイレギュラーな感じがするのは、内装屋さんが、映画のタイトルとか、いろんなところからイメージを膨らませて提案してくださって。僕自身がその内装にこだわって、お金をかけたわけではないんですよ。

座れるスペースをつくったのは、他の店との差別化を図るというか、うちの特色を出すときに、新刊も扱っているのがひとつと、結構古本屋さんとかでちょっとした展示やっているところっていうのはかなりあるんですよ。

だからギャラリー自体は特殊なことではないんですよ。飲食はもともと無理っていう物件で、それは諦めたんですね。ブックカフェにはできないんだけどもゆっくりできる。あとこういう場を設置することで、ちょっとしたイベントをしたいなと思っています。

――開業されてから感じる違い、苦労や良かったと感じることはありますか。

宮崎:兼業が思ったよりしんどいです(笑)。まだ1ヶ月経ってないので、今のところはそのオンオフのつけ方とか。まあ不定休でやっているので、休みをどうするのだとか。まあいろいろありますけど、これから慣れていくか、しんどいままなのか、ちょっとまだ自分自身でも・・・。

開業して良かったことは、何ていうのかな、やっとこの歳にして、まあ経済的にこの店がどうなるかどうかは別にして、社会人としての一歩を、やっとスタートを切れたのかなぁって。

まあ高校大学問わず同級生だったら、大卒でいわゆる就活をして、普通の企業に入って、辞めたり、まあ転職しなければ、僕の同級生なんかは勤続10年以上でもう部下もいるくらいになってるはずですよ。

経営がなりたつか、まあ正直今の段階では3ヶ月4ヶ月先もう潰れてるんじゃないかっていう、あのそれすらもわからない状況ですけども、まあ一応その、スタートは切れたかなっていう。

僕は大学院でうだうだしてて、いわゆるモラトリアム期間がいつまでも続いていた状態だったので、やっと人並みになれたのかなということですね。あとは、いろんな方に喜んでもらえたっていうことですね。

具体的には、「クラウドファンディングで4つくらい支援したけど、どれも成立しなくて、宮崎さんのプロジェクトで初めて成立しました」って言ってくださった方がいます。また、クラウドファンディングで5万円出してくれた方には、「貸し棚」っていう権利があって、それを結構面白がってくれる人が多くいました。

そういう方とは、すでに3回くらい、ここを見に来てくれる方もいらっしゃって継続的に関係が続いています。あとは、海文堂の元店員だった方と顔見知りになれました。

――これからの展望、やっていきたいことを教えてください。

宮崎:大きく言えば、元町の文化的な発信地になったらいいなって思ってます。具体的には、海文堂さんがなくなったけど、ここができてよかったよねっていってもらえたら、それ以上の褒め言葉はないです。かなり大言壮語かな・・・。

あとそうですね、いわゆるメジャーな本は置いてないので、「あそこに行けば面白い本があるよ」ってなるのがまずは最初の目標ですね。そのうえで、海文堂さんはなくなったけど、ここができてよかったよねってなったらいいなと思っています。

これからの取り組みとして、ワークショップとか、あと、著者トークイベントだとかを積極的にやっていきたいです。なんか、そういうのをやって人を呼ばないとつまらないので(笑)。イベントに巻き込むことで、もっとたくさんの人が集まる場になって欲しいです。

◆この記事は「wanderer」から一部編集し、転載いたしました

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