島根県津和野町などでまちづくりの活動に取り組むFoundingBase(ファウンディングベース)。この取り組みの面白さは、都市部の若者が地方に移住し、その地方のいち住民となり、地元の人々と協力しながら、地道に一歩一歩、取り組みを進めているところだ。この取り組みに参加する若者たちは「ある」もの尽くしの東京から、「ない」ものだらけの地域に移り住む。彼らは、何故、地方を選んだのだろうか。今回は、課題解決を目指すプログラムに携わっている小林英太郎さんにお話を伺いました。(聞き手・福井 健)

津和野で農林課職員と写る小林さん

津和野で農林課職員と写る小林さん

■島根県津和野町で、「ただの大学生」がエネルギー政策に携わる

福井:島根県の津和野町で、バイオマス発電を軸とする地域づくりに携わっていると、伺いました。実際にどのようなことを目指して、日々どんなことをしているのですか?

小林:島根県の津和野町では、役場の農林課が中心となって、木質チップを使ったバイオマス発電の仕組みを作ろうとしています。この背景には2つの考えがあり、かつては栄えていた林業が衰退し、山に入る人たち(林業家)が少なくなったことに危機感を覚えた行政が、自伐林家を育組もうとしていること。

加えて、せっかく自国で生産できる木材が長年伐採されずに放置されているのだから、その自然の力を利用して、地域でエネルギー自立できる循環型のシステムを作ろうと考えていることが挙げられます。

福井:木質チップを使ったバイオマス?自伐林家?ちょっと、専門用語が多くてわからないんだけど、簡単に言うとどういうこと?

小林:ごめんなさい(笑)木質チップを使ったバイオマス発電というのは、正確には木質バイオマスガス化発電なんですけど、木を細かくしてチップを作り、そのチップをガス化させて集めて燃料とすることで発電するという仕組みです。

計画の全体像としては、町内に発電所を建てて、木の需要を創り出すことで、自分で木を切る林業家を育てて、林業家が儲かる仕組みと、エネルギー自立ができる地域を作るという、「産業を盛り上げること」と、「地域自立」の両面を狙っている取り組みです。

関市と周辺地域のバイオマス活用イメージ 出典:岐阜県商工労働部

関市と周辺地域のバイオマス活用イメージ 出典:岐阜県商工労働部

福井:なるほど。で、小林くんは、その取り組みに携わっていると。

小林:はい!!そうです!学生時代から、自立した社会や、自己完結型のまちに興味があったんですけど、今は大学を休学して、町長付というポジションでこのプロジェクトの一員として活動しています。バイオマス発電の計画に必要な各種データの収集や林業体験など、泥臭く町を駆け回る毎日です。

福井:どうして、わざわざ大学を休学してまでこのプロジェクトに参加しようと思ったの?ましてや、今まで実績も、経験もない大学生ができることって少ないと思うんだけど。

小林:確かに、何の実績も経験もない自分にできることは少ないと思います。実際に今任されているデータ調査の仕事や、現場回りも到底プロレベルではできていないし、「自分はここに居てもいいのか?」って考えることもあります。長期の計画ということもあって、中々成果が見えづらいプロジェクトでもあるんですけど、この場所で、このポジションで、やらせてもらっているからには自分の仕事としっかり全力で向き合って、今出来ることを最大限やりきりたいと考えています。

福井:実績も、経験もないけれど、機会が与えられているからには、一生懸命、ひたむきに目の前のことに向き合うということね!!なんでわざわざ大学を休学して参加しようと思ったの?

小林:大学を休学してまで参加しようと思った理由としては、2つあります。1つが、高校時代に感じた「一風変わった人生を歩みたい!」という想いで、もう1つが、大学時代に考えていた「これからの社会の在り方」のモデルとなるような現場が津和野にあるのではないか、という考えです。

■抑圧的な環境の中で感じた「自分らしさ」を突き詰める大切さ

福井:「一風変わった人生」っていうと、「人と違う生き方」のように捉えられると思うけど、今まではどんな風に生きてきたの?

小林:生まれたのは鹿児島県の鹿屋市というところなんですけど、小学校4年生の時に、父親の仕事の関係でいきなりロンドンへ引っ越しました。3年間英国で過ごして、鹿児島に帰ってきたのですが、イギリスでは日本人学校に通っていて、そこまで英語ができるようになりませんでした。イギリスに3年もいたのに英語が話せない!そんな自分に違和感を感じて、高校に入学してから1年間アメリカに留学しました。

留学中の写真

留学中の写真

福井:外国の雰囲気の中に居たこともあった人が、地方の高校に行くって、結構窮屈な想いをしたんじゃないかと思うんだけれど・・・。

小林:確かにそうでした。僕が通っていた鶴丸高校というところは、極端に言えば東大至上主義の高校なんです。東大を目指せば間違いないし、少なくとも旧帝大に行くべき、そういう教育でした。今でも覚えていますが、たまたま模試の成績が良かった時に先生に呼び出されて、「小林、東大に行かんか。(鹿児島弁で東大に行きなさいの意味)」と言われたことは強く印象に残っていますね。

確かに、明治時代に西郷や大久保といった日本を代表する偉人を輩出した鹿児島から、日本一の東大に行かせて今の時代のリーダーを出したい!という先生たちの熱い情熱は感じたのですが、天邪鬼の僕は、それって結局は先生にとっての安全パイでしかないんじゃないの?という不信感も抱いていました。

詰め込み教育で、課題をたくさん出されて、それを真面目にやっていると、自分が見えなくなる状態。そんな環境に若干の嫌気がさして、そこから抜け出て、自分らしくありたい!!という気持ちでいっぱいでした。もちろん、東大至上主義も絶対に間違ってるわけではないし、古式ゆかしき教育方針も先生たちの熱い情熱も嫌いじゃなくて、むしろ好きなんですが、自分は自分の選択をしたいと思ったんです。

福井:自分は自分の選択をする、かあ。海外に居たとはいえ、中々周りに流されずにそうやって自分の意見を持つことって難しいように思うんだけど、どうしてそんな風に考えるようになったの?

小林:実は、非常に強く影響を受けた漫画があるんです。「絶望に効くクスリ」というちょっと変わったタイトルなんですけど、山田玲司さんという方が描いた対談漫画です。連載開始当時の一日の平均自殺者数が86人という暗黒時代の日本において、何か希望となる生き方があり、今この瞬間にもがいている人たちを奮い立たせたり、楽にさせてあげたい!というコンセプトで始まった漫画なんです。

対談相手も多岐にわたっていて、芸術家の「オノ・ヨーコ」からお笑い芸人の「ほっしゃん」から心理学者の「河合隼雄先生」から、とにかくもういろんな人の半生を聞き出して人生との向き合い方を探り、山田玲司流に解釈し直して無理やり漫画にしてしまうという作品なんです。

たとえば、忌野清志郎の回なんかは、売れるまでの過去を探りつつも、彼の生き様から今の時代を生き抜くヒントを抽出していて、作中では忌野清志郎を「心のデビルマン」と呼び、「自分の常識は自分で作れよ、ベイベ」とか「理屈なんざどーでもいいんだよ、やりたいことをやれよ」といった熱い言葉を語らせているんです。

忌野清志郎の回に限らず、すべての回において人生訓がアツく語られるので、それを読んでいくうちに、「人に合わせたりするんじゃなくて、人と違うことをしていた方が人生楽しそうだ!」っていう考えにいきついたんです。とはいえ、高校の頃に「自分がしたいこと」が漠然としていたので、専攻などを遅めに決められて、なおかつクリティカルシンキングによって自分の頭で徹底的に考えさせる大学に行きたいと思って、ICUに入学しました。

福井:なるほど、高校時代から「自分らしく生きる」ことにこだわりを持ってたんだね。だから休学も思い切ってできたということ?

小林:休学に関してはそうですね。かなり前から休学したいと思っていました。というのも、ICUで学べるのは、ものごとについて「広く浅く」という学問。自分自身進むべき道を決めていなかったこともあって、興味がおもむくままに学んでいると、気付けばバラバラなことを学んでいて、トータルで見たときにこれといった武器がない状態になっていました。そんな時に、社会で大事を為すには専門的なフィールドを持たないといけないと感じて、休学して落ち着いて考えてみたり、どっぷり何か一つのことに打ち込んでみようと思っていました。

大学在学中の写真

大学在学中の写真

■自立した地域、「これからの社会の在り方」を追い求め

福井:でもなんで、津和野で、しかもバイオマスだったの?

小林:それは、二つ目の理由に繋がってきます。僕は、津和野で今起こっていることが「これからの社会の在り方」をつくるんじゃないかと考えたんです。

福井:「これからの社会の在り方」って?

小林:個人的な哲学の領域になるんですが、昔から「一番効率が良い生き方はなんなんだろう」ということを考えていたんです。というのも、元々高校の頃は山岳部にいたんですけど、登山するときって、必要なもの全部をザックに入れて持っていくんです。山道具+食料さえあれば、山で生活ができる。

そういうサバイバル感が大好きで、山に登っている時によく自分がどんな風に生きたいかを考えていました。そうやって山に登っているとき、人一人が生きるための必要最低限の物は全てこのバックの中に詰まってるからこれだけあれば生きていけるなあ、と考え始めたんです。それを個人という枠からコミュニティに広げていくと、衣食住+エネルギーが最小限必要だと思いました。

山を登っているときの写真

山を登っているときの写真

福井:なるほど。そんなこと、考えたこともなかった。必要最小限のものは、衣食住とエネルギーということだけど、それが、いまのプロジェクトとどう関わってくるの?

小林:僕が行き着いた理想の生き方の結論は、人や、他のものに依存せずに生きていくということです。依存しないといっても、もちろん自分だけではどうしようもないこともあるので、協力はもらいますけどね(笑) 他のものに依存しないってことは、縛りや制限がなく、自由であるということだと思うんです。

コンパクトに、スマートに、シンプルに。「持たない暮らし」と言い換えてもいいかもしれないです。その暮らしをコミュニティまで拡大して考えたとき、衣食住に関する自立のプロジェクトって結構あると思うんですよ。

地産地消とか、自分たちのコミュニティで家を建てるとか。賛否両論あるとは思いますが、僕が実現したい世界観は、自己完結型の社会。自給自足や地産地消、エネルギーも自国で賄えて、先進的なところも活かしつつ日本の伝統的な知恵も忘れない。そんな社会が日本のどこかでできればいいなって思うんです。

経済合理性や、共通利益に基づく友好関係を重視して海外貿易を拡大する、という世界観ももちろんあっていいと思いますが、それとは別に、環境に負荷がかからず、何ものにも依存せず、自分たちで必要なものは自分たちで作る、というような世界観も実現させたい。日本全体でそれを実現することは難しいけれど、そういった地域があってもいいんじゃないかと考えていて、そんな時に、津和野のプロジェクトと出逢いました。

福井:「持たない暮らし」や自立したコミュニティが「これからの社会の在り方」の一つだと考えたときに、津和野で行われていることが、まさにぴったりのプロジェクトだったということなのね。

小林:そうです。自分が実現したい世界観や、これからの社会の在り方って、東京じゃなくて、ここ津和野にあるんじゃないかと思いました。また、自分自身が政治学専攻だったことも、津和野に来る決断を後押しさせたと思います。津和野でバイオマス発電所を作るにあたり、実際の権力対立や合意形成の現場を間近で見られると思いました。

実社会での「正義」が問われる場所に行ける、という感覚、これには非常に興味をそそられましたね。それに加えて、大学の英語の講義で扱われた未来学の論文に「未来の人たちはエネルギーも含めて自立し始め、気の合う仲間でコミュニティを作って暮らし始めるだろう」という予測があって衝撃を受けたんですけど、津和野町でもそんな未来を先取りしそうな木質バイオマス発電事業が動き出そうとしていると聞いて、時代が変わっていく瞬間を見たい!と思いました。

■「エネルギー自立の伝道師として、国を背負える人間になりたい」

福井:そういったこれまでの生き方から津和野に関わる決意をして、今実際に働いてみてどうですか?毎日、楽しく働いてますか?

小林:大学生から一転して期限付き役場職員という形で働き始めたので、慣れないことも多く仕事の効率もまだまだだと思いますし、正直、苦労も多いです。ですが、自分一人で活動している訳ではなく、津和野でいうと11人のチームプレーで回っているので仲間の協力にはいつも助けられています。それぞれがもつ専門的な知識や、独自のアウトプットや、多様な人脈に触れられたりするし、多面的に、多方面で活動しているFoundingBaseだからこそ、様々なコミュニティと交われて楽しいです。個々人の魅力も際立っていて「個人の力の大連結で、でっかく地方を変えていこう!」というFoundingbaseのステートメントにもとても共感できます。

福井:11人のチームで活動しているとメンバー同士での学びもありそうですね。不安なことや、困ったことはないの?

小林:不安なこととしては、復学後の就活が少し不安です。けれども、しっかりと活動し、成果を残すことで、評価してくれるところはあるだろうと信じています。実際に知り合いの社会人に活動を話すと、そういう風にリスクをとって行動することは、プラスの評価になると言われたこともあります。

ただ、3年以内という短い期間で何ができるのか、というところに関しては、はたと考えることもあります。いつまでもこの町にいるわけではないので、毎日目の前のことに真剣に向き合って取り組んで、小さな成果をしっかりと積み重ねていかなければと考えています。

津和野メンバーの写真

津和野メンバーの写真

福井:なるほど。津和野で活動していく上での目標とかはありますか?

小林:津和野でバイオマス発電の導入に向けて必死に働くことで、バイオマス発電に関することなら、すべてこたえられるようになっていて、津和野町のバイオマスに関しても詳細まで頭に入っている状態になりたいと思います。ひいては、存続の危機に瀕している地方のコミュニティが「エネルギーで自立」していくことに寄与する働き方がしたいと考えています。

農林水産省や、資源エネルギー庁など各省庁が山の資源を使った新しい国のかたちを描いている中で、津和野町のやろうとしていることは他地域のモデルになりうること。このプロジェクトが津和野町で成功したとき、きっと他の地域にも応用できるはず。だからこそ津和野のプロジェクトを成功させることは、今後の日本のために寄与すること。

自分の行っていることは、これからの国の在り方を作っている、そういう実感を持ってやれていることがすごく嬉しいです。いつか日本を背負えるような人間になって、未来に向けた仕事がしていけるように、津和野での日々に真摯に向き合いたいと思います。

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