標高8,848m、世界一高い山エベレストに挑み続ける登山家の栗城史多さん。彼の登山は賛否両論がある独特のスタイルだ。まず、ベースキャンプから山頂まで行動を共にするバディー(相棒)を付けず、8,000mを超える高所での使用が一般的である酸素ボンベも持たずに登る。さらに登山の様子を手持ちのビデオカメラで撮り、その様子を現地からネット配信している。(オルタナS特派員=中川 真弓)

登山家の栗城史多さん

登山家の栗城史多さん

単独登山の定義論争や、ベースキャンプで人生相談を生中継するなどエンターテイメント性を重視する行動を指摘する声がある一方、多くの企業経営者から賛同を得ている。栗城さんは無名だった大学生時代から今に至るまで、数えきれないほどの企業を回りスポンサー依頼を行っている。「山に登るための資金を集めています」一見無謀にも思える体当たりの行動をやり続けたことで、少しずつ協力者に出会う事が出来た。そこには、登山家と起業家に4つの共通点があるからだろう。

1.孤独
栗城さんはベースキャンプからの頂上アタックを一人で行う。無線でベースキャンプのスタッフと連絡を取り合うが、高山病で体がつらくても、視界を遮られるほどの強風に恐怖を感じても、頼れる人は居ない。大自然を前に自分の無力さを感じ、苦しみや恐怖と闘いながら、目標達成を目指して自分の力で進むしかない。

2.世の中に価値を提供する
栗城さんは大学生で登山を始めた。標高5000~8000m越えの高所登山を専門としている。死と隣り合わせの状況を何度も体験することで、今までの価値観や概念がそぎ落とされ、生き方を深く理解できるようになった。登山をするたび新しい自分に出会うことができ、山に登ることがライフワークになっていく。

記録用に撮っていた登山の様子を、たまたま友人や知人に見せたところ、大きな反響があった。これまでの、カメラマンが撮る登山の映像にはない、失敗も恥ずかしい場面も、喜びも全て隠すことなく、普通のお兄ちゃんが限界に挑戦する映像に勇気をもらう人が出てきたのだ。2009年からは『冒険の共有』として、本格的にインターネットでの生中継登山を行っている。素人では見ることの出来なかった世界最高峰の景色を、彼は世界中の人と共有している。そして、成功や失敗といった結果だけではなく、挑戦する勇気(過程)を多くの人に届けている。

2014年7月に登頂したブロード・ピーク(8,047m)の登山風景

2014年7月に登頂したブロード・ピーク(8,047m)の登山風景

3.やらない決断をする
登頂は成功、途中で下山するのは失敗と言う人もいるが、栗城さんが最も重要視しているのは『生きて帰ること』だ。体調や天候により登頂が難しいと判断するのは、今までの努力や協力者の期待を裏切ることになるかもしれない。それでも、冷静に状況を把握しやらない決断をする。生きていなければ再チャレンジできないからだ。

4.チャンレンジし続ける
栗城さんは登山家で生きていこうと思ったことはないそうだ。目の前にある山に登りたくて、登ったら次にやりたいことが現れて、それをどんどん追いかけて今がある。大学では就活もせず、友達にも先生にも変人扱いされた。活動が理解されず批判されることもたくさんあったが、自分の気持ちに素直に従って新しいチャレンジをし続けた。その諦めない姿勢は共感を呼び、年間70~80本の講演会を全国で行うまでになった。講演依頼のほとんどは口コミだという。

2012年10月に挑戦した世界最高峰エベレスト(8,848m)の登山開始前

2012年10月に挑戦した世界最高峰エベレスト(8,848m)の登山開始前

栗城さんの最終目標は、エベレストから生中継をして、みんなと冒険を共有することで、自分も一歩踏み出したいという人を増やすこと。トレーニングと並行して、エベレストから生中継をする為の資金や協力者集めに奔走し、どうすればやり遂げられるか、四六時中考えている。これが登山家・栗城史多の仕事だ。2015年9月にはエベレストへの再チャレンジを予定している。

「とあるスポンサー企業の社長から、『経営は冒険の様なものだ』と言われたことがあります。人と違うことや新しいことを始めるのは勇気がいるけど、情熱をもって続けていれば必ず応援者が現れます。既成概念に縛られず、一人でも多くの人が、自分のやりたいことにチャレンジできる世界にしていきたい。」と栗城さんは語る。

※2015年9月のエベレストチャレンジの詳細はこちらから⇒https://www.facebook.com/kurikiyama
※2015年5月22日まではクラウドファンディングに挑戦中⇒http://shootingstar.jp/projects/1569

2012年10月のエベレスト登山の様子。写真中央の明かりが栗城さん

2012年10月のエベレスト登山の様子。写真中央の明かりが栗城さん

■栗城史多(くりきのぶかず)
1982年北海道生まれ。大学山岳部に入部してから登山を始め、キャリア2年目の21歳で北米最高峰6,194mのマッキンリー山に単独で登頂した。以降6大陸の最高峰に登り、8,000m峰4座のベースキャンプからの単独・無酸素登頂を果たす。2012年秋のエベレストチャレンジで手の指9本に負った重度の凍傷を乗り越え、2015年秋エベレストからのインターネット生中継登山に再挑戦する。

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