2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故。あれから、この3月で9年が経とうとしています。この9年、メディアでは徐々に「復興」というポジティブな面にスポットが当てられ、人々から少しずつネガティブな記憶が薄れていく一方で、目に見えずにおいもない放射能と、原発事故による課題は確実に存在し続けています。福島第一原発事故を検証し、実態を伝えるメディアを運営する団体に話を聞きました。(JAMMIN=山本 めぐみ)

福島第一原発事故の国際評価レベルは最悪の「レベル7」

震災後の2011年5月6日、明石さんが訪れた福島県南相馬市原町にて。「大津波に襲われた集落は玄関の門柱と土台だけを残し、消えていました」(明石さん)

2011年3月11日に起きた福島第一原子力発電所の事故を検証し、原発事故の実態をできる限り事実に即して伝えるメディア「Level7」を運営する一般社団法人 原発報道・検証室。

代表の明石昇二郎(あかし・しょうじろう)さん(57)は、1987年に青森県六ヶ所村の核燃料サイクル基地計画を取材して以来、ルポライターとして原発問題をライフワークとしてきました。

お話をお伺いした「Level7」代表の明石昇二郎さん

「大事故の発生から9年が経った今もなお、事故で漏れ出した放射性物質や放射線による健康への影響や、自然環境への影響に関する情報をはじめ、原発事故発生当初の状況や避難を強いられた方々の現状など、事故による被害を過小評価させるための嘘の情報が蔓延しています。政府や東京電力が率先して過小評価し、あるいはひた隠しにして、メディアも報じていない事実が山ほどあるのです」と明石さん。

「原発事故について報じられることも少なくなってきました。もう終わったことにしたい人もいるのでしょうが、残念なことに原発事故は終わっていません。『Level7』は、事故現場をはじめとしたさまざまな現場で今、何が起きているのかを多角的に検証し、発信するサイトです。事実を正確に知ることこそが、事故の風化と再発を防ぐことにつながると確信しています」

サイト名である「Level7」は、福島第一原発事故が、原子力施設事故の深刻度を示す国際原子力事故評価尺度(INES)で最も深刻な事故であることを示す「7」に認定されたことから名付けられました。

「評価レベルは軽いものから順に0〜7の8段階で、その中で『7』は最悪のもの。レベル7に認定されたのは、1986年に発生したチェルノブイリ原発事故に次いで世界で2例目です」

メディアでは報じられない「タブー」

ニュースサイト「Level」トップページ

明石さんをはじめとして、「Level7」で記事を執筆する7人のメンバーは、いずれもテレビや新聞、雑誌といったメディアの第一線で活躍している方たちです。しかし「原発に関する報道にはタブーがある」と明石さんは指摘します。

「私自身も、福島第一原発事故を受け、ある新聞社からの依頼で書いた原稿について『この表現は削除したい』と言われたことがありました。あくまで事実を書いた記事でしたので『それでは原稿を引き上げます』と伝えたら、そのまま載せてくれたのですが…」

「どこまでやるかは人それぞれですが、ジャーナリズムの現場では、事実を伝えるために譲れない一線は『譲れない』と主張し、闘わないといけないところがあると思います」

では、なぜメディアは事実を報じようとしないのでしょうか。

「大事故が起きる前のテレビでは、電力会社のCMがバンバン流れていましたよね。今でこそ少なくなりましたが、マスメディアにとって電力会社は今も巨大なスポンサーです。だから、電力会社を真正面から批判するような報道はタブーになりがちです。そんな事実も踏まえ、どこまでならばマスメディアで情報を発信することができるのかを、私たちも散々試してきました」

牛のいなくなった牛舎(2011年6月、福島県飯舘村)。「搾った乳から放射能が検出され、出荷できなくなりました。乳牛はすべて処分され、中には屠場送りになった牛もいました。事故による被害を受けたのは、ヒトばかりではありません」(明石さん)

「『Level7』のメンバーは皆それぞれ、原発に対して批判的な視点を持っている方々です。福島第一原発事故が起こる前から原発の問題を取材し、事実に基づいて原発への警告を発信してきましたが、福島第一原発での大事故を食い止めることはできなかった。原発事故後、若干タブーが薄れた部分もあると感じてはいますが、自分たちがもっと上手に、そして効果的に原発の危険性を伝えることができていれば、福島での事故を防げたのではないかという忸怩たる思いもあります」

「皆さんの役に立つ仕事でなければ、それはジャーナリズムとはいえないのではないでしょうか。しかし、ことにこの原発の問題についてはそれができていなかった。事故が起きてしまった事実は変えることはできませんが、事故の事実を検証し伝えていく活動は、今後も大事だと感じています」

3月11日、福島第一原発で何が起きたのか

原発事故の概念図

2011年3月11日、福島第一原発で一体何が起きたのでしょうか。

「はっきりとは解明されていませんが、地震と津波によって発電所の電源が途絶え、原子炉がコントロールできなくなったことが事故の原因だといわれています」と明石さん。

「地震発生時、最初に地震の揺れによって、発電所に電源を送る鉄塔が倒れ、電源が絶たれました。非常用のディーゼル発電機が立ち上がるはずが、津波が押し寄せたことですべての電源が途絶えてしまったのです。『ステーション・ブラックアウト(全電源喪失)』と呼ばれる状態に陥り、高熱になっていた核燃料を水で冷やすことができなくなってしまいました。原子力発電は、核燃料で水を熱し、発生させた蒸気でタービンを回して発電します。福島第一原発事故では、電源が失われた後、原子炉内を冷却できなくなり、核燃料がどんどん過熱していったのです」

「その結果、核燃料はどろどろに溶けてしまいました。これが『炉心溶融(ろしんようゆう)』です。そのため、放射性物質を封じ込めておくことができなくなり、空や海に向け、甚大な量の放射性物質が漏れ出しました」

誰も報じなかった放射能の襲来

2011年5月15日、福島県飯舘村長泥で撮影。「10マイクロシーベルトまで測れる線量計が振り切れ、「9.99」を表示しています。つまり、何マイクロシーベルトあるのかわからなかった。近くでは、人々が普段着のまま歩き回っていました」(明石さん)

地震が起きたこの日、メディアで「福島第一原発で異常が起きている」と報じられることはほぼありませんでした。しかし異常事態は発生していたと明石さんはいいます。

「数日もすると、炉心溶融していなければ検出されないはずの放射性物質が東京都内の大気中から検出されたという情報が、知人の専門家から飛び込んできました。『これは確実に炉心溶融が起きている』と判断していたのですが、その一方で東電や政府は『炉心溶融は起きていない』といい続けていました」

「『とんでもないことが福島で起きている』ということだけは、すぐ理解できました。現地取材を旨とするルポライターとしては、すぐに福島に取材へ向かうことを考えましたが、ライフラインが寸断されており、現地に向かえば私自身遭難してしまう恐れがあると判断しました。現地取材は一旦諦め、東京にある事務所にこもって情報収集に専念しました」

明石さんは、大気中の放射線量を測定するために各地の原発周辺に設置されている「モニタリングポスト」の数値をリアルタイムでインターネットから四六時中チェックしていました。

文部科学省が公表した、東京都の航空機モニタリング測定結果図(2011年9月の値)。「標高の高い奥多摩の山々が、高い汚染に晒されていることがわかります。また、千葉県と接する足立、葛飾、江戸川の各区にも、高い汚染が残っている『ホットスポット』が生まれていたこともわかります」(明石さん)

「地震や津波によって福島県の原発周辺にあるモニタリングポストは軒並みダウンしてしまったため、次善の策として福島第一原発の北、宮城県にある女川(おながわ)原発の周辺と、福島原発の南、茨城県東海村などにあるモニタリングポストの数値を四六時中チェックしていました。すると、かなりの量の放射能が漏れ出し始めていることがわかりました。そして震災から4日後、東京をはじめとした首都圏にも高線量の放射能雲がやってくることが予測されたのです。悩んだ末に『首都圏に放射能が襲来する』という情報をネットに公表しました」

「他のメディアは『原発から放射能が漏れ出し始めている』という報道こそありましたが、事前に『放射能雲、首都圏襲来』を報道したマスメディアは一つもありませんでした。前代未聞の事態ですから、躊躇してしまった部分もあるとは思います。私自身もこの情報を発信するか非常に悩みました。でも、後で後悔するくらいなら、批判を受けることも覚悟の上で、広く皆に知らせるべきだと決断しました」

二次災害、三次災害を防ぐために

2011年5月15日、高濃度の放射能汚染に晒された福島県飯舘村の酪農家・長谷川健一さん夫妻(左から3番目、5番目)と、酪農仲間の田中さん(左端)と。その隣が被害の実態調査に来た有田芳生参議院議員、右から3番目が、長谷川夫妻を支援する保田行雄弁護士。右端は明石さん

今回の事故による放射能汚染が私たちの生活にどんな影響を及ぼすのかは、未だ明確にわかっていません。
しかし、明石さんが全国のがん罹患状況を検証したところ、統計的に見て福島県民は胃がんや甲状腺がん、胆のう・胆管がんなどが多発状態にあり、全国平均をかなり上回っていることがわかったといいます。

「原発事故によって環境中にまかれた発がん性物質は放射能だけではないはずです。しかし、この事故によって何が環境中にばらまかれたのか、きちんと把握されていないのです。もし健康被害が発生しているのであれば隠さずに伝えるべきだし、事故処理がどれだけ困難であったとしても、二次災害、三次災害が起きないように収束作業を進めるべきです。福島の人たちの暮らしを激変させてしまった東京電力の責任、そして罪は重いと思います」

「『除染』といっていますが、放射能汚染は片付けきれるものではありません。汚染水の問題も、その一つです。放射能によって汚染された水をタンクに詰め、福島第一原発の敷地内にいっぱいタンクが並べられています。国や東電は、タンクの置き場所が限界に近づいているとして、タンク内の汚染水を海に放出しようとしています。大半の汚染物質は放出する前に濾し取り、『水に残っているのは”トリチウム”という弱い放射性物質だけだから問題ない。海流でも希釈される』と説明しています。しかし、タンク内の水にトリチウム以外の放射性物質が残っていることを隠していたことがバレて、海への放出に『待った』がかかりました」

「事故は終わっていない」

2020年2月、現在の飯舘村前田地区周辺。「除染して出た放射能ゴミを入れたフレコンバッグ(フレキシブルコンテナバッグ)は山積みされ、村の至るところに残っています」(明石さん)

事故から9年。来年には10年の節目を迎えるにあたり、明石さんは次のように話します。

「うやむやにされている話がたくさんあり、課題は山積みです。原発事故による被害に遭い、途方に暮れている人たちもたくさんいます。その中には、被ばくで体調を崩したのではないかと疑っている人もいます。それが原発事故による健康被害であり、その原因が突き止められるのであれば、他の公害事件と同じように保障や手当を受け、救済されるべきです」

「廃炉の話も出ていますが、福島第一原発の廃炉には40年以上の歳月が必要と言われています。でも、40年くらいで終わるという保証はどこにもありません。きっと、もっとかかることでしょう。事故の影響は、これからもずっと続いていくのです」

「『Level7』では、今後も被害救済に役立つ情報を発信していきたいと思っています。カッコつけるわけではありませんが、事実を元に、少しでも世直しのお役に立てたらと思っています」

「Level7」の情報発信を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、「Level7」と1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。「JAMMIN×Level7」コラボアイテムを買うごとに700円がチャリティーされ、「Level7」の主要執筆者が収集・保持している事故に関する一次資料を文字データに変換し、検索可能な形にしてサイト上にてデジタルアーカイブ化するための資金となります。

「JAMMIN×Level7」3/2~3/8の1週間限定販売のコラボアイテム(写真はベーシックTシャツ(カラー:キナリ))。価格は700円のチャリティー・税込で3500円)。アイテムは他にパーカー、トートバッグやキッズTシャツなども

JAMMINがデザインしたコラボアイテムに描かれているのは、レコードとそれを持つ手。レコードにはうっすらと放射線マークが投影してあります。事実を検証し記録することで、情報を広く発信し、人々と共有する「Level7」の活動を表現しました。

チャリティーアイテムの販売期間は、3月2日~3月8日の1週間。チャリティーアイテムは、JAMMINホームページから購入できます。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

・福島第一原発事故の事実を検証、発信するサイト「Level7」を運営。「原発事故は終わっていない」〜Level7(一般社団法人原発報道・検証室)

山本 めぐみ(JAMMIN):
JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしている京都の小さな会社です。2019年11月に創業7年目を迎え、コラボした団体の数は290を超え、チャリティー総額は4,000万円を突破しました!

【JAMMIN】

ホームページはこちら

facebookはこちら


twitterはこちら

Instagramはこちら




[showwhatsnew]

【編集部おすすめの最新ニュースやイベント情報などをLINEでお届け!】
友だち追加