タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆3.11東日本大震災

啓介が倒れていないダンボールを抑えている間も揺れは続いた。どこか遠いところの大地震だ、と啓介は壁を背にして、腕を突っ張ってダンボールを押しながら思っていると揺れは小振りとなり、やがて収まった。「びっくりしたな~」と岩田が鼻を押さえながら呻いた。「大丈夫ですか社長」啓介が気使うと岩田は「鼻を打ってしもた」と言うので改めて見ると、鷲鼻から鼻血が少し垂れていた。啓介が岩田の方に近づこうとするとまた揺れ出した。「地震保険お宅で入っていたかな」岩田が尋ねた。「覚えていません。これが収まってから聞いてみます」

啓介が気乗りしない口調で答えた。「調べといてや」岩田が言うとまた揺れてきた。会社に電話をしてみた。いつもの受付の木村良子はなかなか出てこずに、由美子が電話にでた。「啓介、大丈夫?」と彼女が聞いた。動揺している。声が上ずっている。「三協さん地震保険に入っていたっけ」と啓介が言うと「ちょっといい加減にしてよ。すぐ帰って、、、、」と言うか言わないかで電話が切れた。啓介は会社にもう一度電話をしてみた。

通じなくなっていた。揺れが収まったところで岩田と階下に降りてみた。事務服を着た若い女性が抱き合って二人で天井を見ていた。他の男性従業員も右往左往だ。「社長、、」「社長さん」彼女たちはベソをかきながらこちらを向いた。岩田がそれに何か言おうとするとまた揺れ出した。

岩田は怪我はないかと言う代わりに「またや!」と言った。携帯電話が鳴った。会社からの電話が通じたのかと思ったら、香港のジェームス王からの電話だった “ Are you alright?”インターネットで知ったそうだ。”I’m OK”。でもほんとにOKなのかな?と自問してみた。

この電話も途中で切れた。今はニュースが世界をかけ巡るのだなと感心した。啓介は階上に戻った。ダンボールを片付けなければ。また揺れた。少し小さいがかなりの奴だ。カタカタ揺れる窓から電線が見えた。縄跳びのコードのように上下している。窓辺に寄って外を見てみた。

外は同じような古いビルとビルだった。ビル達はキャリーパミュパミュの狂信者達が曲に合わせて揺らめくようにそれぞれに身をくねらせていた。遠く芝浦のほうからどす黒い煙が入道雲のように空に向かって立ち上がっていた。「えらいこっちゃ」いつの間にか岩田が他の男子従業員を連れて戻っていた。「震源地は東北だそうや。電車みな止まってしもたらしいで」。遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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