大震災を経験した東北の小さな漁師町にはどのような人が住んでいるのか。東日本大震災から6年が経過したなか、復興へ向けて立ち上がる人々の素顔を若者が追った。自宅や漁船が被害に遭い、親友まで失った彼/彼女らはどのような思いで日々を生きているのか話を聞いた。
舞台は、岩手県陸前高田市広田町。人口3500人で、広田湾に面した漁師町。震災時には、広田湾と太平洋の両側から津波被害を受け、本島と分断された。死者・行方不明者は50人超、1112世帯中400の世帯が全壊・半壊となった。町に1校あった中学校も津波で流され、150隻あった漁船も1隻を除いて全てなくなった。
広田町は外部のNPOを受け入れていなかったが、震災を機に、この町はある団体と出会った。20代の若者たちからなるNPO法人SETだ。
同団体では、毎年都内に住む大学生を広田町に連れてきて、住民とともに地域の課題を解決する企画を行っている。今回、SETの学生メンバーが広田町の住民にインタビューした。
◆若者の背中押す広田のおっかさん
「まず自分の目で見て働いて、実際に経験して」ーー。こう繰り返し伝えてくれたのは、岩手県陸前高田市広田町の中沢浜地区に住む長野元子さん。県外から広田町に来た大学生の挑戦を後押しする。(NPO法人SET=島山 怜・慶応義塾大学商学部4年)
元子さんは、広田町にある民宿「志田荘」に5年間務めた後、大手保険会社に転職し、営業を行う。息子が小学一年生になる時期に始めたこの仕事は、勤続33年になる。
元子さんは、仕事はやる気・根性がないと続かないと言い切る。地域からの信頼は厚く、よく困っている人の相談に乗る。町の人からは「太陽が来た」と言われるくらいの明るさだ。
そんな彼女が若者に対してよく口にするのは経験の大事さ。若い頃の経験が職に就いた時必ず実を結ぶと伝えている。元子さん自身が同じことを体感したため、説得力がある。
「昔、うちのあたりは貧乏だった。裸電球だったし、くど(かま)で火を焚いていた。水道がなくて、井戸から水を汲んできていた。ランドセルに魚を背負わせて市場で売って、学校へ歩いて行った。味噌なんかも全部自分でつくっていた。」貧しかった小学生時代をこう振り返る。
子どもができ、パートで働き始めても苦労は絶えなかった。仕事の間、子どもを保育園に預けようとしても、面接で落とされる。「パートは忙しくないから」という役所の判断だった。
「こんな経験をしてきたから、根性精神が出てきた」。辛いことがあっても、逃げずに「さあ、明日からがんばっぺー」と切り替えて過ごしてきた。
くよくよ考えるのが嫌いという元子さん。周囲から、いつも賑やかでパワーをもらえると言われているが、「あなたたちにもできるから」と伝えてくれた。
「私にも、あなたたちの年代のときには恥じらいがあった。苦手なことをできる人に教わるとか。でも、引け目を感じることはない。一回間違ってもいいから、恥をかくこと。完璧ってことはない。一回は失敗したほうが良い。人生一回は経験だしな、と思ってもまれていくんだよ」。培ってきた経験と、力強い言葉で、若者の背中を押す。
「高田でも広田でも、若者を求めているからさ。若い人たちに頑張ってもらわねば」
若者が田舎に暮らすことに対して期待を示している。「ここは津波が怖いけど、自然が良い。のびのびとこの自然で学べることがある。こっちで働きましょー、仕事あるよって言っといて!」
若者の挑戦・経験を応援してくれる。自分をさらけ出しても、全部受け止めてくれるおっかさんが、この町にはいる。
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