センジュ出版。小さなオフィスにアットホームな6畳の和室カフェが併設された、しずけさとユーモアを大切にする「ひとり出版社」だ。立ち上げたのは、吉満明子(よしみつ・あきこ)さん。出版不況のなか、昨年2月に同社から出した初めての本は三刷りが決まった。(小嶺 晶子)
そう遠くない未来に、紙でできた本を知らない子どもたちが出てくるのだろうか。1日の読書時間が0分という大学生が増え、全国から本屋が減り、電子書籍が当たり前になりつつある2015年に、センジュ出版は誕生した。
元は大手出版社で働いていた吉満さん。ヒョウ柄のジャケットに12センチのハイヒールという出で立ちで、アクセル踏みっぱなしで仕事をこなし、役員にまでのぼりつめた。いわゆる「バリキャリ」だった。
37歳で第一子が誕生してから、「自分の心が求めていた」働き方に変わる。自身の仕事と家庭と子育てのワークライフバランスを大切に。そしてセンジュ出版は、著者の想いを本に載せて、一人ひとりに大切に丁寧に届ける出版社にしたい。
2016年2月に、センジュ出版から初めての本が出版された。その本に今様のタイトルをつけてみるなら、『派遣社員の事務員だったアラサー女性が、カンボジアの子どもたち1万人に映画を届けた話』になるのだろうか。著者である教来石小織(きょうらいせき・さおり)さんの実話だ。
「何年、何十年かけて、必要としている人に届く本、遺していく本にしたい。だから流行りのタイトルにはしたくなかった」と吉満さんは言う。完成した本のタイトルは『ゆめの はいたつにん』。
キャッチーな帯もあえてつけず、本の力と読者を信じた。装丁は仮フランス装でタイトル部分は箔押しに。本に込められた著者のメッセージが伝わるような温もりを感じさせる出来栄えになっている。
信念を貫いて作ったが、出版前も出版後も吉満さんは夜も眠れないほど不安だったという。果たして売れるのだろうか。
だがやがて少しずつ読者からの感想が届くようになり、同書を大切な人にプレゼントする読者も出てきた。中学生から大学生、シニアの男性、主婦、経営者など不思議と幅広い層に読まれる本になった。
読んだ人から口コミで広がっていき、国内で移動映画館を行う俳優の斎藤工さんの手にも奇跡的に渡った。斎藤さんは自身のブログに感想として、「七回くらい涙があふれた」と書いた。機を同じくして初版の在庫がなくなり、重版が決まった。
ひとり出版社といっても、吉満さんは多くの人に支えられている。アルバイトの大学生や地域住民、会社員時代から培った本作りのプロスタッフたち、本を自身の店舗や事務所で売ってくれる友人たち、そして彼女の子育てを陰で支える家族、両親。
なかでも主に編集作業を行う吉満さんの書店営業を助けたのが、英治出版の岩田大志(いわた・だいし)さんだった。組織・経営やソーシャルイノベーションに関する本など、ロングセラーを出している英治出版の理念は、「著者の夢を応援するパブリッシャー」。社員やアルバイトスタッフにもその理念は浸透している。
通常、出版社の書店営業といえば、自社の本を置いてもらうための営業だが、岩田さんは違った。自社の本だけでなく、他社の本でも応援したいと思ったものは営業する。
『ゆめの はいたつにん』も応援した。岩田さんの絶妙な営業で、数々の書店が発注してくれるようになった。しかしその岩田さんは、くも膜下出血により、享年41歳で急逝する。吉満さんは最期まで面会が叶わなかった岩田さんの葬儀の際、泣き崩れたという。
岩田さんが亡くなる一週間前に『ゆめの はいたつにん』の営業を受けたSTORY STORY(有隣堂新宿店)の店長、鈴木宏昭さんは同書を30冊注文した。「自分たちがこれだと思う本を誰に何と言われようと置き続けること。それを本屋の矜持というなら、僕はその矜持を守れるハコを作りたい。本当の本売りが心底自分の信じる本を売れる場所を」。
信念を持ったひとり出版社から生まれた本は、様々な想いある人たちの手を経て読者に届いて行く。『ゆめの はいたつにん』発売から一年。三刷りが決まった。書籍のカバー袖に記された、本書より抜粋の一文をここに紹介しておきたい。
「映画の主人公はいつも、どん底から這い上がっていくではないですか。
人生は生きるに価するものだと教えてくれるではないですか。
絶望したときほど、強く自覚しなくてはいけません。
自分の人生の主役は、他の誰でもない、自分なのだと。」(P60 第2章「はじまりのうた」より)
・『ゆめの はいたつにん』はこちら
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