石渡博之さん(22)は今年3月、都内の大学を卒業後、岩手県陸前高田市広田町に移住した。石渡さんが親に移住したいと伝えたとき、移住先での活動や収入などを心配され、「移住するなら親子の縁を切る」とまで言われた。大学卒業後、オルタナティブな進路を選んだ若者を紹介する。(オルタナS副編集長=池田 真隆)

広田町で活動する石渡さん

石渡さんは1995年神奈川県横須賀市生まれ。中学生のころから教員になることを目指し、大学は青山学院大学文学部に進学した。大学では教員免許を取るため教職課程を学んでいたが、定期的に岩手県陸前高田市広田町に復興支援のために行っており、「ここでならやりたいことを形にできるかもしれない」と直感で思うようになる。

石渡さんは東北に縁もゆかりもない。広田町との出合いは、大学1年生のとき。同地で活動するNPO法人SETの企画に参加したことがきっかけだ。

広田町の魅力は人だと言う。「60代の人でも夢を語る姿に刺激をもらった。挑戦に遅いことはないと思った」と話す。同町は人口3500人の漁師町。東日本大震災では、津波で陸の孤島となり、死者・行方不明者は50人を超え、3分の1の世帯が全壊・半壊した。150隻あった漁船も1隻しか残らなかった。

甚大な被害を受けたが前に進む人たちと一緒にいれば、「何かできるはずだ」と直感で感じた。さらに、仲間の存在も移住を後押しした。同町では、SETのメンバーが数人暮らしながら活動をしている。メンバーは20代で、特徴的なのは、全員が東京から移住してきたということ。同じ道を選んだ先輩だからこそ相談しやすかった。

移住してからの活動を具体的に決めてはいなかったが、「何かを挑戦することに一緒に応援してくれる人がいる。何ができるか分からないが、何かはできると強く確信した。不安よりも楽しみの方が大きかった」と移住することを決めた心境を振り返る。

しかし、親からの理解は得られなかった。親に移住したいと伝えたとき、「そこに行って何をするんだ。大学に行かせた意味を考えろ」と反対された。「親には安定した職に就いてほしいという思いがあったのだと思う」と石渡さん。

具体的な活動を伝えられなかったことで、話は平行線をたどり、ついには、「移住するなら親子の縁を切る」とまで言われた。

それでも、石渡さんは直感を信じ、移住することを決めた。そこから卒業するまでの間は友人宅に泊まりながら過ごした。移住するために家に荷物を取りに帰ったとき、通帳が置いてあったという。この日まで石渡さんは親としっかり向き合うことができなかったが、親が置いていたのだ。

石渡さんは、これまで育ててくれた感謝の思いを書いた手紙を置いて家を出た。

■親に伝えたいこと

いま、石渡さんはSETの仲間たちと広田町でシェアハウスをしながら働いている。チェンジメーカープログラムという名称の宿泊型研修を企画している。大学生を対象にしており、広田町に1週間ほど滞在して、町の課題を見つけ、解決策を実行するものだ。春休みや夏休みなどの長期休暇に実施し、都内から70人ほどの大学生が参加する。

プライベートでは一次産業に興味があり、ワカメ漁の手伝いも行っている。毎朝4時半には起きて、地元漁師の船に乗る生活を送る。

移住してから両親とはまだ顔を合わせていないが、連絡は取っているという。「あなたが広田町に行ったことはまだショックですけど、自分が決めた道なのでしっかり生きなさい」と親からの叱咤激励をもらった。

石渡さんは、「一番身近で大事にしてくれた両親の思いに添えられなかったので申し訳ないと思っている。でもいまは、ぼくも元気に暮らしている。改めて向き合えとき、自分の気持ちを伝えたい」と言う。

進路に悩む人へはこうアドバイスした。「やりたいことが分からないから、具体的じゃないからという理由で違う道を選ぶのはもったいない。分からないことがあっても踏み出すと何かが見えてくるはず。一緒に走ってくれる人を大事にして進路を決めてほしい」。

・NPO法人SETのホームページはこちら

*このシリーズ「オルタナティブな若者たち」では、大学卒業後、移住や起業、世界一周など、一風変わった進路を選んだ若者を紹介しています。

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