最も厳しい就職氷河期だった2011年に立教大学法学部を卒業した佐藤可奈子さんは、人口わずか13人の限界集落へ移住した。移住した当初は寂しさのあまり涙を流すこともあったが、今では結婚して一児の母だ。移住したいと悩む学生たちからの相談は後を絶たず、「移住の母」でもある。(オルタナS副編集長=池田 真隆)

新潟県十日町市で暮らす佐藤さん、2014年に結婚して1児の母だ

佐藤さんが移住したのは、険しい豪雪地帯である新潟県十日町市にある池谷集落。6軒13人が住む限界集落だ。しかし、佐藤さんは、「実際に行ってみると集落を存続させたいと思う住民の強さを感じた。限界ではなく希望集落だと思った」と話す。

移住を決めた最大の理由は「人」だった。大学3年生の夏ごろに、国際NGO JENが行う中越地震の支援活動に参加して、池谷集落と出合った。交流人口を増やすための村づくりや農作業の手伝いなどを行った。

地元住民と交流していくうちに、「大切なことを多く教わった」と振り返る。その一つが、「確かな生き方」だと言う。「当時はリーマンショックが起きたばかりで、安定した生き方を多くの人が模索していた。池谷に暮らす人は目の前にあるものに向き合い、そこから学んだものを暮らしに還元していた。しなやかで強い生き方で、大切なものだと思った」。

佐藤さんは、この暮らしがなくなってしまうことは、もったいないと思い、地元住民が大切にしてきた暮らしをつながなくてはならないという使命感のようなものに駆られた。3年の冬に就職活動が始まるが、そのときまでには移住することを決めた。

すぐに決められたのは、住民の存在もあるが、そのときにちょうど進路を模索していたことも移住を後押しした。佐藤さんは海外で人道支援を行いたくて立教大学法学部に進んでいた。難民支援のサークルで活動していたが、テロが起きる背景や平和のつくり方を勉強していくと、国民を巻き込む紛争は小さな感情から起きていることが分かった。

世界平和を考えるのではなく、まずは個人単位で世の中を良くしていきたいと思い直し、海外ではなく国内の課題に目を向けていた。そしてこのころに、池谷集落へのボランティア募集の情報と出合ったのだ。

今では地域おこし協力隊やテレワークなどで、「移住」がホットワードになっているが、東日本大震災が起きる前の当時は、都内の大学を出て地方へ移住して農業をするという選択は希少だった。

友人からは、「いますべきことなのか」、「社会人経験を積んでからでも遅くないのではないか」などと反対された。しかし、「いまつながないと、彼/彼女たちがつないできたものが途切れてしまう」と彼女の意思は硬かった。

親に移住することを伝えたときも、「へー、そう。お給料はもらえるの?」と、彼女の性格を理解しているからこそ、受け入れた。

しかし、そうは言っても環境を移り、未経験のまま農業をしていくことに不安はなかったのか。佐藤さんは、「特に不安はなかった」と言い切る。収入の面でも、偶然ポストが空いた。

それは、ボランティアの宿泊施設である廃校の管理人で、もといた管理人が佐藤さんが移住してくるタイミングで茨木に帰ることになったのだ。管理人をすることで月5万円の収入は確保し、農作業をできることになった。

地元住民からの応援を受けて農作業を行う

さらに、移住してくる前の約1年半の間、毎月池谷集落に通っていたので、住民は温かく迎え入れてくれた。「農業は一人前になるまでには時間が掛かる。お前が一人前になるまで、田んぼや車、農具などはタダで貸すよ」と、多くの人が手伝ってくれたという。

一年目は、お米と50種類の作物を育てることに挑戦した。50種類も育てたのは、「最初は何が合うか分からないから、とりあえず何でも育ててみな」という教えからだ。

恵まれた環境での暮らしをスタートできたが、「気付くと泣いている日もあった」。その要因は、地域の温かさを実感したため。「地域は家族の集合体。素敵な家族がたくさんいる。みんなには帰る場所があるんだと思い、そのときに初めて彼氏ではなく家族が欲しいと思った」。

豪雪地帯ならではの気候も気分を暗くさせた。冬には積雪が4メートルにもなり、陽が出ない。これらの要因が重なって、涙が出てきたという

■里山で農業と保育を融合

辛い日々を乗り越え、移住して3年目にはついに佐藤さんも結婚した。今では1児の母になった。池谷集落から車で20分ほどの距離にある小泉集落にある夫の実家で暮らしている。1歳半になる娘は、「もう怪獣です(笑)」と母の顔も見せる。

移住で悩む学生からの相談は後を絶たない。学生には、「まずどんな大人になりたいのか、どんな暮らしをしたいのかに向き合ってほしい」と伝える。「名の知れた会社で、みんなが知っている職業に就かないといけないと勝手に思っている節がある。自分がなりたいと思う北極星を見失わないで。そこにいく道は一つではないし、どんな経験も無駄にはならない。色々な人に会って、色々な場所に行ってほしい」。

2011年に移住したばかりのときに住民と精を出す佐藤さん

今後は、里山と女性をつなぎ、母親が安心するもう一つのふるさとを作る事業を構想中だ。雪国やさいをドライ加工した安心の子ども向けおやつ、母親に寄り添い、里山から暮らしのヒントを得るウェブメディア、そして育児ツーリズムを中心にした里帰りステイの3本柱。里山と女性、農業と保育の融合で、農村と都市の女性の課題を解決する。来春オープンを予定している。

佐藤さんは、「多くの人に見守られて育った子どもは、誰かを見守る人になる。安心できる居場所をつくることで、里山から社会の空気を変えていきたい」と力を込める。

*このシリーズ「オルタナティブな若者たち」では、大学卒業後、移住や起業、世界一周など、一風変わった進路を選んだ若者を紹介しています。

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