タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆プロ野球

ダンヨシダは日本のプロ野球を選んだ。NFLで活躍するにはあまりにも体が華奢だったからだ。ドラフト外で、待遇は日本の高校出の選手と同じ扱いで、年棒は120万円だった。

月10万円だが大卒の初任給が10,000円の時代たから、ダンは格好裕福だった。ダンはオープン戦、アメリカで言うエキジビジョンゲームから一軍のベンチに入った。その主な仕事は二人のアメリカ人選手の通訳と快足を生かした代走だった、アメリカ人選手は二人とも太っていて足が遅かった。

アメリカでは3Aの選手だったが、日本の野球をなめていていた。日本の選手もダンから見れば不真面目だった。ベンチで煙草を平気で吸っていた。監督がバントのサインなど出すと、あからさまに不機嫌な顔をした。ワンアウト2塁でも言われなければ右打ちなどしなかった。一応MLBのキャンプにも参加したこともあるダンには信じられない事の数々だった。球場も酷かった。特にロッカールームと便所の汚さは酷かった。

アメリカのカレッジリーグの方がずっとクリーンだった。宿舎も酷かった。みんなで旅館に並んで寝るなんてアメリカでは考えられなかった。だからアメリカ人は別格で、一部屋づつ割り当てて貰っていた。古手の選手は夜遊びばかりで朝帰りをする者もいた。だから、それを見ているアメリカ人選手がだらけてしんまったのも分からなくはなかった。

ダンはアメリカ人どちらかの代走だった。大概どちらかが一度は塁に出るので、ダンはほとんど毎試合代走で出場していた。しかしゲームが終わるとアメリカ人選手二人は、ダンを小僧の様に使った。だからダンはアメリカ人選手と夜出歩くのを嫌った。その内、アメリカ人の内一人の外野を守っていた選手が、肉離れを起こして、アメリカに帰ってしまったので、ダンはセンターで先発出場をするようになった。

もう夏の終わりで彼のチームはほぼ最下位だった。もうその頃になるとチーム内は来期のうわさが飛び交うようになっていた。7チームあったパリーグは6チームに編成されることになるらしかった。最下位になるだろうダンのチームはどこかのチームと合併することになるらしかった。

はたして次の年、ダンのチームは3位だった電鉄系のチームに合流した。選手層も厚くなり、新たにアメリカから30代半ばのメジャーリーガーが入ったので、ダンは殆ど2軍(マイナー)暮らしになって行った。日本人のベテラン選手より走って守れる自負はあったが、外人枠3人が災いして、三年目も四年目も五年目も殆ど一軍での出番はなかった。6年目は鳴物入りで入ってきたメジャーのスラッガ―が4月5月6月で15本もホームランを打ちながら、突然手首が痛いとか言い出して、7月になると逃げるようにアメリカに帰国してしまったので、ダンが呼ばれて7,8、9月と2番センターで出場した。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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