タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう
なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)
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◆キリマンジャロの雪
一次試験は麹町の立派なビルの一室で行われた。あまりできなかったが、二次試験の連絡が来た。志望動機を聞かれ、身体検査が行われた。これは問題がなかった。長野県の駒ケ根市の美しい自然に囲まれ、隊員の訓練所に入った。
派遣前の語学研修をすませると現地に向かう事になった。たまたま日本に来ていたナイロビの所長が末広と他三人を引率することになった。一人は小室という大学出たての空手使いで、後の二人は、30過ぎの土木技師だった。
飛行機はBOAC-VC10というエンジンが後方に付いている美しい細身の飛行機で、羽田を飛び立つと香港に止まり、コロンボで給油をするとインド洋の美しいセイシャル諸島を経由しナイロビに向った。
香港で中国人が何人か乗り込み、セイロンのコロンボではインド系の人々が10人足らず。セイシャル諸島では乗客の増減はなかった。日本人の乗客は末広たちだけで、彼らはエコノミークラスの座席の肘掛を上げて伸び伸び横になって寝続けた。
機内食が何回か運ばれ、窓から見える太陽はなかなか沈まなかった。乗客がまばらな機内は気ままに移動できたので、自然に彼らはそれぞれバラバラに機内食を取るようになって、機内のあちこちに移動した。長い夜が過ぎて、紫色の曙が尾翼の横から薄く光って、長い時間をかけて帯となって、朝がのろのろとやって来た。所長がもうすぐナイロビだと言って皆を集めた。
二人の技師はネクタイを引き締め、脱いでいた上着を着ると二人は緊張した顔つきになった。坊主頭の小室は立ち上がると、空手の突きと蹴りを何回かやってからヨレヨレのブレザーコートを手元に引き寄せ、よっしゃと言って背筋を伸ばして座りなおした。
殆ど寝てばかりいた二人だが、小室が関西の大学の空手部出身者であることや、スワヒリ語どころか、英語も全く駄目なことくらいしか八王子の訓練所では知らなかったが、あと一時間くらいで着陸するとなると期待と不安の興奮が二人を饒舌にした。
学生気分の二人は小室さん、末広さんと呼び合い、着任するナイロビの事、仕事の事、女はどうだ、食い物はどうだとふざけ合った。機内アナウンスがあって、左下前方にキリマンジャロが見えますとの報道が流れると、左側に二列、右側に三列の座席に座っていた20人ほどの全員が左側の窓際の座席に移った。すると小室は素早く右側の座席の窓際に飛び移って末広に言った。「こっちこんかい。皆が左ばかりに言ったら飛行機が傾くやないか」
末広も大きな体を横にして小室の方に進んだが、スチュワーデスが平然としているのを見て立ち止まった。
「大丈夫ですよ20人位で傾きませんよ」すると技師の一人が笑って言った。「飛行機は細長いから、左右の移動は大丈夫なんだ。前後は危ないけどね」末広はほんとかなあと思いながら小さい窓から下を見た。雲を突き抜けるような独立峰が雲海を睥睨とするように白く輝き、二重になっているその火口が朝日にライトアップされていた。
「キリマンジャロが見られるなんて君たちは幸運だ。我々の活躍を象徴しているようだ」と感極まったように声を上げた。
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