就職活動で、「ソーシャルビジネス」を決め手に会社を選んだ若者がいる。企業の知名度や規模ではなく、社会問題の解決に挑みたいと門を叩いた。彼/彼女たちはなぜ社会問題に関心を持ったのか。期待と不安が混ざった社会起業家の卵たちの素顔を追う。

世間が社会起業家に抱くイメージと言えばどのようなものだろうか。社会問題の構造を熟知し、高度なビジネススキルを持ち、人としての魅力にあふれた「次世代型リーダー」だろうか。

この特集では、ソーシャルビジネス業界で売上高トップのボーダレス・ジャパン(東京・新宿)に就職した若者たちにインタビューしていく。同社は、「ソーシャルビジネスしかやらない会社」と宣言し、9つの事業を展開している。若手社員の育成にも力を入れており、新規事業へ最低3000万円の投資を行う。

この取材では、社会問題の解決を志し、ソーシャルビジネスを行う急成長ベンチャーを就職先に決めた若者に、志望した理由や入社後本当にやりたいことはできているのか、そして、プライベートな質問まで投げかけた。社会起業家の卵たちの素顔をお届けしたい。

社内では、「ジャクソン」の愛称で呼ばれている松浦さん

社内では、「ジャクソン」の愛称で呼ばれている松浦さん

■きっかけは「マイケルの死」 国際協力の道へ

第一弾は、新卒1年目の松浦由佳さん。彼女は、「アフリカの物乞いをゼロにしたい」と意気込み、将来はアフリカでビジネスを立ち上げることが目標だ。彼女がアフリカの貧困問題に関心を持ったきっかけは、「マイケル・ジャクソンの死」だという。「キング・オブ・ポップ」の死は、彼女にどのような影響を与えたのか 。

――松浦さんが国際協力に関心を持ったのは、マイケル・ジャクソンの死がきっかけなのですよね。

松浦:マイコーの名曲、「Man in the Mirror」が全ての始まりでした。愛して止まないマイコーが亡くなった日、私は大学受験に向けて勉強していました。その時に聞いていたこの曲に、「世界を変えたいなら、まずは鏡の中にいるそいつから変えろ」というメッセージがあります。マイコーがいなくなった今、”Change the World”は誰がやるのか。自分に問いかけた時、「私だ!」って思ったんですよね。

「カンガ」は、東アフリカで女性が衣服やエプロンとして使う布。マイケルが亡くなった時に作られたもので、スワヒリ語で「DAIMA TUTAKUKUMBUKA」(私たちは永遠にあなたを忘れない)と書かれている。「このカンガに出会った時は即買いでした」と言う松浦さん

「カンガ」は、東アフリカで女性が衣服やエプロンとして使う布。マイケルが亡くなった時に作られたもので、スワヒリ語で「DAIMA TUTAKUKUMBUKA」(私たちは永遠にあなたを忘れない)と書かれている。「このカンガに出会った時は即買いでした」と言う松浦さん

――な、なるほど…。

松浦:マイコーが目を向けてきたのは、その日生きることすらままならない人たちです。気付かないふりをして生きることもできますが、それじゃいけない、この貧困をなんとかしなきゃ!と思って。貧困=アフリカと結び付けて、アフリカで国際協力をしようと決めました。だから大学もスワヒリ語を専門的に学べるところに行きたくて、必死に勉強しました。

――その勢いで大学に入学してからは、何をしましたか?

松浦:すぐに国際協力団体に入りました。ケニアのシングルマザーがつくったバッグを仕入れ、日本での売上を寄付して支援する団体です。

良い仕組みだと思ったものの、特に自分が代表になってからは、納得いかない毎日でしたね。売上を上手く伸ばせないのに、ママたちは生活費を切実に必要とします。毎月一定の金額を送っていたので、売上が送金額に満たなければ自分のアルバイト代を充てていました。

大学生時代の松浦さん、国際協力の難しさを痛感した

大学生時代の松浦さん、国際協力の難しさを痛感した

学生団体によくある光景だと思うんですけど、こういう活動は続かないですよね。ビジネスとしてちゃんとお金が回らないとだめだと痛感したので、タンザニア留学ではそれを学ぼうとしました。結局、みんな大変だということが分かっただけで帰ってきちゃったんですけど…。

その後はビジコンに挑戦したり、自分で何かを売ろうと思って、タンザニアで仕入れた材料で自作したアクセサリー販売を1年程やったりしました。近所のカフェでは取り扱ってもらえても、「minne」(ハンドメイド作品を販売するWebサイト)で売ったら全然売れなくて。お客様がお金を出してまで買う商品をつくることも、買う価値のある商品だと伝えることも本当に難しいと思い知りました。

松浦さん自作のアクセサリー

松浦さん自作のアクセサリー

――NGOでの活動や留学など国際協力の道に一直線に進むなか、就活を迎えたようですが、どのように動いていましたか?

松浦:ボーダレス・ジャパンを知るまでは、商社とか、IT系のベンチャー企業を中心にみていました。

――商社とITベンチャーって随分方向性が違う気がしますが…?

松浦:商社なら早くアフリカに行けそうだと思ったんですよね。ITベンチャーはWebサービスの会社を主にみていたんですが、これから商売するなら対面よりECだろうと。自分でビジネスをやるなら、最初にそこを勉強しようと思っていました。ボーダレスには、友人に勧められて来ました。最初に副社長の鈴木と話した時の印象は、「ファンタジーな会社」でしたね。

■「アフリカに行く『だけ』ならほかの会社でもいい」

――ファンタジー、ですか?

松浦:はい(笑)ボーダレスが掲げる「社会問題解決×ビジネス」は、自分がやりたいことと完全に一致していました。一方で、そんな理想を本当に実現できているのか疑問で、何か裏がありそうだと思ったので「ファンタジーな会社」だと感じたんです。

でも、設立して1年ほどのバングラデシュの工場ではすでに200名近くのスタッフが働いていましたし、その中には未経験かつ他の工場では雇われにくい女性や障がい者が多くいました。

しかも、「事業の立ち上げに3,000万円使っていいよ」って。びっくりしましたけど、それなら私がアフリカでやりたいビジネスをやるにはここに入るのが一番速い、と思って選びました。

――とはいえ、松浦さんがやりたい「アフリカのビジネス」は、就活当時も今も、ボーダレスで取り組めていない状態ですよね。それでもできると思ったんですか?

松浦:思いました。アフリカに行く”だけ”なら他の会社でも良いですし、配属次第ではボーダレスより早く行けると思います。「社会貢献」だって他の会社でも実現可能ですよね。便利なサービスを提供したり悩みを解決したりするビジネスも社会貢献ですから。

でも、私がなんとかしたいのは、「自分の力だけでは抜け出せない状況で苦しんでいる人」なんです。ここにビジネスでアプローチする会社は他に見当たらなかったので、ボーダレスが一番速くできそうだと思いました。

聞き手:株式会社ボーダレス・ジャパン 採用担当 / 石川えりか
新卒では教育×ITのベンチャー企業に入社。営業→人事を経て、入社4年目の春、ボーダレス・ジャパンに転職した。1人でも多くの社会起業家を輩出するため、そして生き生きと働く社会人を増やすため、様々な会社を見てきたフラットな目線でボーダレス・ジャパンを伝える。
3度の飯より、ボーダレスとスワローズとロック。ひたすら追いかけて日本中を走り回る変態。結婚3年目、もちろん家庭が一番大切です。時間じゃない、気持ちだ!

*後編では、松浦さんが入社後、どのような仕事をしてきたのか、夢に近づけたのかを聞きます。後編はこちら
ボーダレス・ジャパンの会社サイト

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◆「社会問題解決を仕事に」
ボーダレス・ジャパンでは、社会問題を仕事として解決していきたい、本当に社会を変えるビジネスをつくりたい人を新卒・中途ともに通年採用中。
あなたがビジネスの実力をつけ、入社後即~入社2年後の間に自分で事業を立ち上げられる環境を用意しています。
ソーシャルビジネスに共感する志を持った仲間、独自のノウハウ、事業展開に必要な資金が集まったこの場所で、「この問題をなんとしても解決したい」という強い思いを成し遂げませんか?
ボーダレス・ジャパン採用ページ

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