宮崎成悟さん(29)は若年介護者の孤立を防ぐコミュニティサイトを立ち上げようとしている。宮崎さん自身も16歳から難病の母親の介護に追われ、一時は大学進学を諦めた過去を持つ。若年介護者をつなげることで悩みや不安を解消し、就職支援も行う。 (オルタナS編集長=池田 真隆)
「16歳から約10年間、母の介護をずっと行ってきた。苦しんだこともあったが、考えていた事業が認められて良かった」。3月、法政大学(東京・千代田)で開かれたジャパンソーシャルビジネスサミット2019のピッチコンテストに登壇し、最優秀賞を受賞した宮崎さんは目に涙を浮かべながらそう口にした。
同コンテストには、ボーダレス・ジャパン(東京・新宿)が主催するソーシャルビジネスに特化したビジネススクール「ボーダレスアカデミー」に通う8人のアカデミー生が登壇した。
宮崎さんは、若年介護者をオンラインコミュニティでつなげて孤立を防ぐ事業プランを発表した。最優秀賞と、約800人が集まった会場の投票によって選ばれる「オーディエンス賞」も受賞した。
若年介護者は約40万人
現在、宮崎さんはプレゼンしたプランを実現するために、株式会社の立ち上げ準備中だ。会社名は「Yancle(ヤンクル)」と決めた。15─29歳未満の介護者を指す「ヤングケアラー」と、「サークル」の2語をつなげた。ヤングケアラーだけでなく、15歳以下や30─35歳の介護者の総数は推定で30─40万人とされている。宮崎さんは、若年介護者向けのオンラインコミュニティサイトを作り、介護に関する相談や将来への不安などを当事者どうしでいつでも相談できるようにしたいと考えた。
登録者が介護に関する記事を投稿できるようにしたり、介護に理解のある企業の求人情報も載せたりする予定。2年間で登録者1万人が目標だ。ビジネスモデルとしては、成果報酬型の求人広告を考えている。
まだ社員は雇っていないが、宮崎さんの思いに共感した応援団が数人いる。営業先を紹介してくれたり、オフィスを無料で貸し出してくれたりと起業家として一歩を踏み出した宮崎さんの後方支援を行う。現在は、資金調達に力を入れる。コミュニティサイトを作成するための費用500─1千万円が目安だ。今年度中に、サイトのベータ版をローンチすることを目指している。
1年時はわずか2単位
宮崎さんが若年介護者の支援を考えた背景には、自身の経験がある。東京・町田市で生まれた宮崎さんは16歳のときに母親が神経系の難病と診断される。はじめのうちは、歩くときにサポートする程度だったが、次第に病状は悪化していき、高校3年生の時には「介護漬けの日々を送っていた」とのことだ。
私立大学の保健学部に合格していたが、介護に専念するため現役での大学進学は諦めた。卒業後は浪人しながら、介護する生活を送り、一浪の末に、立教大学社会学部に合格した。
しかし、入学初年度はほとんど大学に行くことができなかった。結果、取れた単位はわずか2単位だけ。翌年以降も、なんとか時間をつくって大学には通えたが、ヘルパーが帰る18時までには家に戻らないといけなかったので、母に昼食を食べさせてから大学へ行き、授業終了後はすぐに帰宅。サークルに入ることや大学終わりや休日に友人と遊びに行くことは、4年間で数えるほどだった。
卒業後は医療機器メーカーの営業や介護系ベンチャーで働いた。難病支援のNPOでプロボノ活動も行い、そのときにヤングケアラーという言葉を初めて知った。宮崎さんは自分と同じ境遇の人がどのようなことを思い、悩んでいるのか知りたくなり、ヤングケアラーの記事などを調べ出した。ある時、記事で見つけた大学の准教授に連絡し、会いに行った。
その准教授は、若い頃に介護した経験がある人は、社会人になってからその経験を生かせるという趣旨のコラムを書いていた。その准教授から、ヤングケアラーを研究している研究者の会合を教えてもらい、そこで、同世代のヤングケアラーと出会った。
「介護の苦悩を話さなくても理解し合えた。こんなに分かり合えるのかと驚いた。同じように一人で悩みを抱え込んでいるヤングケアラーどうしをつなげたいと思った」(宮崎さん)。
この経験が事業プランを思いつく「種」になった。起業に向けて動き出した宮崎さんは、ボーダレスアカデミーが1期生を募集していることを知り、応募した。同アカデミーには400人以上から応募が集まったが、見事50人の定員に入った。5カ月をかけてビジネスプランを練ったが、最も印象に残っていることは、「本質」の追求だという。
講師やほかの受講生と、「その事業は本質的な解決につながるのか」と話し合いを何度も重ねた。当初は介護した経験を社会で生かせるプランを考えていたが、若年介護者の課題を「孤立」と見極め、当事者どうしをつなげて、共助の仕組みをつくることに変えた。
「まずは孤独を防ぎ、抱えている悩みを解決する。社会進出の支援はその後でいい」と宮崎さんは言い切る。