学校や会社に行く電車のなかで新聞を広げ読んでいる人が少なくなったのはいつ頃からであろうか。いつしか情報は無料で手に入るようになり、紙は読まれなくなった。そのような社会の変化に呼応するように新聞社もデジタル化に向け大きく変化している。山陽新聞は1879(明治12)年に山陽新報として創刊後、1948年には山陽新聞と改題し、「地域と共に」を基本理念に、新聞発行を通じて地域貢献を目指している。(武蔵大学松本ゼミ支局=永川 諄也・武蔵大学社会学部メディア社会学科3年)
今回取材した岡山県の山陽新聞は、紙媒体の衰退や講読者層の高齢化により事業の多角化に向けた変化を迫られていた。この山陽新聞では、2009年の47万8千部をピークに現在は12万部ほど低下して35万8千部となっている。
山陽新聞では、他の多くの地方新聞社と同様、2014年に電子版「山陽新聞デジタル」を創刊した。山陽新聞では、講読者との繋がりを強く育むため「さん太クラブ」という山陽新聞の講読者を中心とした会員がある。
「さん太クラブ」は、山陽新聞の主な読者層である50代の方々が多く、新聞を読む世代とリンクしている。ここでは会員にメールマガジンで特典を提供するだけでなく、読者から山陽新聞に向けて様々な意見を送ることができる双方向的な機能を持った会員組織である。
このメールマガジンはさん太クラブの会員だけでなく、子育てのママを対象とした「LaLaokayama」やカルチャースクールの会員も加入できるようになっており、新聞をよく読む50代や60代の世代以外の意見も入ってくるようになっている。
ただこうした貴重な読者のデータベースを販売局等と共有し、紙媒体の販促、その他に活用しようとする動きはまだ行われておらず、今後行っていこうという話が出てきたと言いう段階である。
「さん太クラブ」の会員情報を新聞社と読者の双方にとってメリットのある形でどのように有効活用していくかが、今後、新聞というメディアが既にデータベースマーケティングを行っているネットのニュースサイトに対抗して新たな読者を取り込んでいく上で、重要になっていくだろう。
デジタル化に伴い、山陽新聞では「山陽新聞デジタル」を通じて映像アーカイブスを掲載している。サイト上で西日本豪雨の被害やそこからの復興に向けてどのような人がどのような活動をしているかを追っていた。
災害の様子を記者が撮影しそれを載せるだけでなく、復興の様子や、救助等にあたっていた自衛隊が去るまでを取材したりなど災害時だけでなく復興というところまで地域の様子を追っていた。
山陽新聞ではデジタル化に向けて様々な取り組みが行われようとしているが、地域に密着した取材活動を通して読者に必要な情報を伝える点については以前と変わっていない。
取材のなかで、「デジタル時代のローカルジャーナリズムは、どのように変化したのか」と尋ねたところ、「そこについては、変化はない」という答えが返ってきた。今後、より一層のデジタル化が起こっても地域に密着したローカルジャーナリズムは変化しないのであろう。
ネット上で出所がわからない情報や信用できない情報が氾濫する中、変わらずに安心できる情報を届ける新聞社の役割は、今後、紙媒体からウェブ媒体へと形は変化しても重要なものになるであろう。