「これからはスポーツ選手も社会とつながることが重要だと思う」。こう話すのはサッカー元日本代表の巻誠一郎さん。故郷・熊本が地震で被災したときには、クラブからの反対を押し切ってまで復興支援に取り組んだ。「自分を支えてくれる人の顔が見えてきた。社会的な価値に気付けた」と言い切る。(オルタナS編集長=池田 真隆)
久保竜彦さんや福西崇史さん、鈴木啓太さんらが駆け付けた引退試合からわずか6日後の1月19日、巻さんの姿は栃木県鹿沼市にある粟野中学校にあった。
「君たちの笑顔には人を喜ばす力がある。だから今日は感謝の気持ちを持って、思いっきり楽しむこと!」――。晴天の下、巻さんは粟野中学校のグラウンドに集まった子どもたちに向かってそう呼び掛けた。
粟野地区は、昨年の台風19号による川の氾濫によって、中心部などが浸水被害を受けた。清州第一小学校には高さ1メートル40センチに及ぶ土砂が流れ込み、電源装置が壊れ、教室や体育館などが甚大な被害を受けた。
19号の発生から3カ月が経ったいま、ボランティアの協力もあり、多くの家屋は復旧してきたが、清州第一小学校は復旧中だ。生徒たちはいまでも、約4キロ離れた粟野中学校に通い、授業を受けている。
被災した子どもたちへ心のケアを行いたいと考えたのが、社会福祉法人鹿沼市社会福祉協議会の田野井武事務局長だ。そして、田野井氏の希望に応えたのが、巻さんを始めとする各界のアスリートたち。
当日は、巻さんの呼びかけによって、ハンドボール元日本代表キャプテンの東俊介さん、車いすバスケットボール元日本代表キャプテンの根木慎志さん、ラクロス元日本代表の山田幸代さんら12人が集まった。
彼・彼女らは、日本財団が主催するHEROsという取り組みに賛同しているアスリートたち。これは、アスリートによる社会貢献を推進するもので、2017年に元サッカー選手の中田英寿さんが立ち上げた活動だ。
野球界からは松井秀樹さん、柔道界からは井上康生さん、バスケットボール界からは田臥勇太さんらがアンバサーとして手を挙げている。復興支援や子ども支援などの活動を年に数回行い、その都度アスリートたちに参加を呼び掛けている。
日本財団の笹川順平・常務理事は、「子どもに前を向く勇気や力を植え付けることは、アスリートの天職だと思っている。社会貢献に対するハードルの高さや気難しさを払拭し、社会貢献のリブランディングを目指したい」と企画した意図を話す。
当日は子どもたちが20人程度のグループに分かれて、アスリートから直接指導を受けた。教えたのは技術だけではない。プレッシャーとの向き合い方や仲間とのコミュニケーション方法、あきらめない心の持ち方など、精神面についても子どもたちに伝える。
競泳元日本代表の山口美咲さんは、「指一本分のタイムを縮めるためにすべてを犠牲にして、自分と向き合い続けた」と現役時代を振り返り、ブラジリアン柔術の松井正行さん(RIZIN柔術トーナメントフェザー級2位)は、「スポーツは勝ち負けがはっきりつくが、勝ったからといって、絶対に相手をバカにしてはいけない」と強調した。
社会貢献で見失った「自分」取り戻す
元なでしこジャパンの大竹七未さんと一緒にサッカーを教えた巻さんは、子どもたちよりも大きな声を出して、場を盛り上げていた。周囲で見ていた親からは、「寡黙なイメージで、あんなに元気な人だとは思わなかった」という声が相次いだ。
休憩時間に話を聞くと、「年に何十回もやっているので」と一言。巻さんは2016年の熊本地震から復興支援に精力的に取り組んでいる。一時はクラブから活動の自粛を求められたが、「目の前にいる被災者をほうっておけない」と活動を続けた。
現役を引退したいま、「アスリートは社会性を持つことが重要」と力を込める。その理由は、「社会とつながったほうが、どれだけの人に支えられているのかが分かる。自分の社会的価値を見直すきっかけになる」とする。海外でプレーしていた経験から、言語も文化も異なる地で活動するアスリートには、この「つながり」が大きな支えになるだろうとした。
有名人が社会貢献活動に力を入れると、「売名行為」「偽善」という声をもらうことも少なくないが、「被災地では情報が錯綜していて、世の中に届きづらい。情報を発信することで、喜んでくれて、前向きになってくれる人がいる。そのような人たちに元気をもらいながら、信念を持って続けている」と語った。