福島は郡山駅から車で約30分、阿武隈山系に位置する田村郡三春町に一人の若手起業家がいる。行っているのは、薪ストーブに使う薪の販売だ。かつては、東京での華やかな暮らしを夢見るも、原発事故を機に、自然の循環を意識した生き方に生きがいを見出すようになったとその起業家は語る。(オルタナS編集長=池田 真隆)

工場内を案内してくれる武田さん(右から2番目)その起業家は、武田剛さん(33)。三春町で生まれ、子どもの頃からバレーボールに熱中し、全国大会にも出場した。自然や動物を愛するが、田舎の狭い価値観のなかでは、「生活が窮屈に感じていた」と明かす。

都会に行けばこれまで会わなかった人とも出会えるはずと期待し、地元の高校を卒業後、上京する。美容専門学校を経て、美容師として都内で働くが、現実は厳しかった。過酷な労働に見合わない給料や忙しない日々に疲れを感じ、頭は将来への漠然とした不安でいっぱいだったという。

そんな矢先、東日本大震災による原発事故が起きた。両親はお米やシイタケなどを育てる農家を営み、冬には薪の販売もしていた。放射能汚染の問題で、シイタケの栽培が長期的に困難になったこともあり、武田さんはこのタイミングで、実家に戻ることを決めた。

[caption id="attachment_79380" align="alignnone" width="300"] 事務所には、ヨーロッパ製の薪ストーブが

実家では放射能汚染の除染の仕事を引き受けており、武田さんの再起は除染作業から始まった。その後、両親が営んでいた農林業の仕事に従事し、両親の事業から「薪部門」を独立させる形で、2015年11月に株式会社薪商はぜるねを設立した。薪ストーブ用の薪を、原木の伐りだしから流通・販売まで一貫して行っている。

オリジナルの段ボールもデザインした

ナラやスギの原木を田村郡、山形県西村山郡、茨城県つくば市などから取り寄せ、工場で約40センチのサイズに切断する。700キロ単位で袋につめ、約1年かけて乾かしてから、大型トラックに載せて販売する。1袋3万円だ。冬の季節には、1軒で4~6袋消費するという。

現在の顧客数は一般家庭を中心に700を超える。配達エリアは福島県だけでなく、山形県、宮城県、新潟県、栃木県、茨城県、埼玉県、千葉県など8県にまで広がっている。

薪の販売だけでなく、太陽光発電予定地の立木の伐採も行う。伐採した木の量は50トンを超え、廃棄物処理すると100万円以上かかってしまう。武田さんは捨てるのではなく、再利用できないかと考え、枝を集めて砕いてチップにしてから堆肥として使えるようにもしている。

奥に見えるのが伐採した立木

最近では岩手県でシイタケ栽培用の原木の伐採・流通にも携わるようになり、着実に成長している。薪の注文は4月から受け付け、1年かけて生産するので、シーズンオフはない。5人の社員と15人程度のアルバイトスタッフとともに汗を流す日々を送る。

都心から地元に戻ったことで、改めて気付いたことがあるという。それは、「自然の循環の素晴らしさ」だ。「この自然に囲まれながら生かされていることに気付いた。この風景を構成する一部として、パーマカルチャーを取り入れて暮らすことを決めた」。

「自然に生かされている」という価値観を、薪を切り口に伝えていく。無農薬野菜や米づくりにも挑戦する予定で、薪の顧客への販売を通して、「食の背景も伝えていきたい」。

最近では、自宅の近くに築100年の古民家を買い取った。壁や床の張替えが必要だが、たくさんの人に関わってもらいながらリノベーションさせたいと考えている。

武田さんが購入した築100年の古民家

環境省による社会起業家支援事業「TJラボ」が選定した社会起業家にも選ばれた。1月下旬には、今シーズン一番の大雪の中、武田さんを支援するメンターが工場を訪れた。

武田さんはメンターたちに、「林業は木の成長速度に合わせて成長していく事業」とし、「薪を通して、豊かさを見出す暮らしを提供していければうれしい」と語った。

・薪商はぜるね
・環境省による社会起業家支援事業「TJラボ」