映像は戦争に抵抗することができるのか――絵本「戦争のつくりかた」をアニメ化して、この命題に挑んだ映像作家たちがいる。その発起人は様々なアーティストのミュージックビデオやジャケットなどを手掛けてきた丹下紘希さん。原発事故を機に、自らの会社を一時休業させた丹下さんは、映像の危険性と可能性を語った。(聞き手・オルタナS副編集長=池田 真隆)

「戦争のつくりかた」をアニメーション化しようと呼びかけた丹下さん

「戦争のつくりかた」をアニメーション化しようと呼びかけた丹下さん


アニメ化した「戦争のつくりかた」

――「戦争のつくりかた」をアニメーション化しようと思ったのはどうしてでしょうか。

丹下:この絵本は「りぼんぷろじぇくと」という有志の集まりがつくったものです。国会で有事法制が話し合われ始めた2004年に、「日本の平和の『かたち』や『ありよう』が変ってしまうのではないか」と疑問を持った人たちがネットで繋がり、どうして戦争は起きてしまうのだろうかと、法律や政令、その時の国会答弁や過去に起きた戦争に照らし合わせて、話し合いました。そして、戦争が起きるまでの流れを絵本で表しました。

僕はこの絵本の中で描かれている状況にどんどん近づいていく今こそ、これを映像でより多くの人に伝えるべきだと思いました。どうして戦争が起きてしまうのか、それを知ることは「平和のつくり方」を知ることだと思ったんです。

この絵本には、国が戦争に近づいていく様々な事例が書かれていますが、逆に言えばこういうことに気を付けていけば戦争を回避できるという手段が書かれている。この絵本を知っていれば、ひょっとしたら危ないかもしれないと疑って立ち止まれるかもしれない。

ぼくは「疑って立ち止まる」ことは、立ち止まれない今の時代において、非常に重要なことだと思う。

©『戦争のつくりかた』アニメーションプロジェクト

©『戦争のつくりかた』アニメーションプロジェクト

――このプロジェクトを始めるにあたって、「はじまりの文章」を書いて仲間を集めましたね。

丹下:ぼく一人の力でつくるのではなく、映像業界からも声をあげるべきだと思ったし、その意義は大きいのです。なぜならもともと映像は軍事が大きく発展させた背景があり、軍事産業に組み込まれやすい。つまり、戦争を啓蒙する逆の使われ方をしやすいもの。

過去の歴史でも、プロパガンダとして使われていたり、映像が戦争に加担して戦争をさらに加速させてきました。だからそれに抵抗するような映像の存在が必要だと思っていました。

このプロジェクトは政治的なことに直接声をあげるので、今の日本では参加することは非常に大きな勇気がいる。この絵本は、声をあげ難い状況で参加してくれた約40人の映像作家やスタッフの方たちの平和を願う気持ちでできている。こんなに尊いものはありません。

複数の作家がかかわったので、パートごとにテイストが異なる

複数の作家がかかわったので、パートごとにテイストが異なる ©『戦争のつくりかた』アニメーションプロジェクト

©『戦争のつくりかた』アニメーションプロジェクト

©『戦争のつくりかた』アニメーションプロジェクト

©『戦争のつくりかた』アニメーションプロジェクト

©『戦争のつくりかた』アニメーションプロジェクト

――丹下さんは映像で、戦争にいたる構造に抵抗していこうとしています。戦争にいたる構造とはどのようなことでしょうか。

丹下:武器という言葉を使わないで、防衛装備と政府は言い変え出しました。言葉が変わる時は危ないんです。政府は武器輸出を禁じる武器輸出3原則を、輸出することが可能な防衛装備移転3原則に変えてしまいました。

そして職員数1800人で防衛装備庁がいつの間にか出来てしまいました。これでは疑問にすら思わず兵器を作り続けてしまう可能性がある。

例えば、会社で何かの部品を作っているとして、それが何に利用されてどうなっていくのか。もしかしたら、それが武器に使われて、それで人を殺すかもしれない。そのことをリアルに想像し悼む余裕が、忙しい自分たちの中にあるんだろうか。

仕事として会社が受注してしまえばなおさら個人は抗えなくなりますよ。しかも武器じゃなく防衛装備なんだと政府が言ってるし、と罪悪が消されていくんです。本当はちがう、その仕事を続けることは、自分たちの家族が人質にとられること。つまり、わが子を育てるために、どこかで人が死んでもかまわないと宣言しているようなもの。

産業として従事してしまうとそんなショッキングなことにも気が付けないんです。でも今ならまだ間に合うかもしれない。あれだけ戦争をしているアメリカも戦争はしていないことになっているように近年の戦争は、守るために戦う戦争は戦争ではない、とされています。

では戦争とは何か。

それは大量の人々が盲目状態になった結果起こる暴力ではないでしょうか。平和の反対は戦争ではなく、ぼくらの無関心が生み出す暴力。つまり時代の権力者の言うがままを信じてしまうことは、ぼくは最悪な暴力となっていると思う。

めんどくさいんですが言葉の一つひとつを疑って、その言葉の意味や意図を検証していかないといけないと思います。

――映像作家として若者へ伝えたいことはありますでしょうか。

丹下:社会問題にかかわっていたら、その原因の複雑さに辟易としてしまうこともあるかもしれない。

でも、考えていく過程で、自分がどんな世界に立っているかを確認し、自分の手にどんな世界を掴んでいるのかを見つけていける。そのことは、ぼくはすごく創造性に溢れた豊かさに触れているなと感じている。

民主主義とは、あなたという個人が中心にいないと成立しない一つの表現のようなものだと思います。自分とは何で、その意思をどうやって見つけて、それを伝える価値を考えることはまさに表現であり創作行為と言えるんじゃないでしょうか。

自分の意思がどこにあるのかを確かめていくことは創造の原点だから。

例えばもしも自分が世界に触れようとして手に掴んだものが、SNSで流れてきたシリアやパレスチナの悲惨な状況で、それに心を痛めて涙を流す優しい力があるのなら、その優しさを戦争を支える構造に疑問を持つ力に変えてほしいんです。

その力があればあなたという個人の世界が未来を変えていくはずです。

「戦争のつくりかた」のアニメーションはこちら↓

丹下紘希:
映像作家 / アートディレクター / 人間
舞踏家大野一雄に師事。数多くのアーティストのジャケットのデザイン、ミュージックビデオを手がける。2012年、非核、非戦を宣言し、NOddINという社会芸術活動を仲間と立ち上げて参加している。現在は映像の問題は「現実感の喪失」だとして映像との付き合いに疑問を持っているが、同時に映像を愛してもいる。

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