第二次世界大戦中、50万人の日本人戦没者が出たフィリピン。日本人の慰霊碑を守りながら「現地の人たちと共に、彼らにとってためになることを」と、1997年より活動するNPOがあります。戦後75年、23年に及ぶこの取り組みは一人の元日本軍兵士の「平和への願い」から始まりました。(JAMMIN=山本 めぐみ)
活動開始からこれまでに
175万本のマングローブを植林
NPO法人「イカオ・アコ」は、フィリピンにある「ネグロス島」と「ボホール島」を拠点に、主に森林破壊に関する環境問題について実態を調査し、住民と協働しながら課題解決のために取り組んでいます。
「メインのプロジェクトは、マングローブ林の再生活動。これまでに植林したマングローブは累計175万本になります」と話すのは、代表の後藤順久(ごとう・よりひさ)さん(66)。
団体名である「イカオ・アコ」は、フィリピンの言葉で「あなたと私」という意味。その言葉通り、現地の人たちと協力しながら活動してきたイカオ・アコ。日本人が一方的な支援を行うのではなく、「現地の方たちと一緒に取り組むこと」、「交流して友情を育むこと」を大切にしていると後藤さんは話します。
「植えるだけ植えて『ハイ、さようなら』ではなく、日本人のスタッフが現地に駐在し、現地の方たちと一緒にメンテナンスを行ってきました。マングローブ林の破壊の他にも、森林伐採によって荒れてしまった山にコーヒーやマンゴーの木を植林したり、そのために水道を引いたり、化学肥料をつかわない有機農業を実践したりして、現地の人たちの生活の向上に取り組んでいます」
元日本軍だった一人の男性の思いが
活動のきっかけ
イカオ・アコが立ち上がったきっかけは、第二次世界大戦中、日本軍の通信部隊の小隊長としてネグロス島に駐在していた土居潤一郎(どい・じゅんいちろう)さんの呼びかけでした。後藤さんによると、土居さんに関する次のようなエピソードが残っているといいます。
「ネグロス島のシライ市の中心に、古くて歴史のある立派な教会があります。戦争中、土居さんは上司から『山に逃げ込む前にその教会を爆破しろ』と命じられました」
「教会には現地の方がたくさん避難しています。それを知った土居さんは『爆破は無理や』と、投下すべきはずの爆弾を海の中に投げ捨て、軍上層部に『爆破してきました』と報告したといいます。もし教会に爆弾が落とされていたらそこで多くの命が失われ、現地の方たちの日本へのイメージは今に至るまで、ずっと悪いものになっていたでしょう」
戦後、日本に帰国した土居さんは1960年代にネグロス島を再び訪問。フィリピンに取り残された日本人や日系2世3世の困窮した生活を目の当たりにし、なんとか力になりたいと私財を投じて支援にあたりました。土居さんの支援は日系人だけに留まらず、「戦時中、フィリピンの方たちには大変迷惑をかけた」と、地域への支援も積極的に行っていたといいます。
戦後50年になる1995年、現地の人たちの生活が安定してきたことを受けて「現地の人も含め皆のためになることをやりたい」と、長年、環境問題に携わってきた後藤さんに土居さんから声がかかり、団体が立ち上がりました。
「土居さんは活動をスタートしてから10年ほどで亡くなられました。彼の意志を引き継いで慰霊碑を守りながら、現地の人たちと手を取り合い、彼らにとっても意味のある活動をしていくこと。それが私たちの活動の根底にある思いです」
1970年代、次々に伐採された
マングローブ林
フィリピンでは1970年代より魚やエビの養殖のためにマングローブ林が伐採され、養殖池がつくられました。もともとあったマングローブ林の、実に3/4が伐採されたといいます。この問題はフィリピンに限らず、インドネシアやタイでも同様に養殖のために多くのマングローブ林が犠牲になりました。
そもそもマングローブとは、海水と淡水が混ざり合う「汽水域」に生える植物の総称。日本では沖縄に7〜8種類があるといわれ、フィリピンでは全土にわたって46種類が観察されています。
「マングローブ林を伐採するとどうなるか。海岸線がどんどん波によって侵食され、陸地が削られていきます」と後藤さん。
「フィリピンでは今のところ津波による被害はありませんが、たとえばインドネシアでは2004年のスマトラ島沖大地震の際、マングローブ林があった場所はそれが防災林として役割を果たし、その地域一体は津波から守られたことがわかっています。人為的に林を切ったことが、結果として命を縮めることにつながってしまったのです」
さらに、マングローブ林破壊による生態系への影響も懸念されています。
「マングローブ林は生態系のるつぼ。木の上にはたくさんの昆虫や鳥、水面下には小魚やエビ、カニが住んでいます。近年フィリピンでは漁業の不振が続いていますが、そこにはマングローブ林を伐採してしまったことによって生態系が失われ、魚が育つ環境が減ってしまったという事実が関係しています」
「事態を重く見たフィリピン政府は、1998年にマングローブに属する樹木の一切の伐採禁止を定めました。しかし、硬く炭に適した木材であるために切って収入にしている人がいたり、電気やガスなどのライフラインが整っていない地域も多く伐採して薪として使われていたり、禁止でありながら、養殖池を再開拓している人がいたりするのが現状。ベースには共通して『貧困』という問題があります。私たちが少し背中を押してあげるだけで、状況が好転することも少なからずあるのではないかと思っています」
植林と共に
徐々に築かれた信頼関係
そんな中、23年にわたって植林活動を続けてきたイカオ・アコ。
「最初こそ不思議がられましたが、ひたすらそれを続け、目の前に再び緑が広がるまでの過程を目にしたことは、現地の方たちにとっても『やればできる』というひとつの成功体験と自信になったのではないか」と後藤さんは話します。
「現在、職業訓練として有機農業にも取り組んでいますが、他の課題についても前向きにとらえて動いてくれています」
さらにマングローブの植林は、林の再生だけでなく現地の人たちの生活の向上にもつながっています。
「マングローブの苗の採取や育成、運搬、植林に至るまで、現地の住民団体と行います。労働力を提供することで現地の人たちは収入を得られます。これまでに9つの住民団体・約500世帯の貧困の解消・生活の向上に貢献してきました」
「バラリン村という村には、15ヘクタールに及ぶ、活動によって植林したマングローブ林のエコパークがあります。今や年間10万人もの人が訪れる観光スポットになりました。エコパークは村の住民団体が運営していて、観光収入だけでなく、施設内のタワーや橋の制作も自分たちで行うことで現地の方たちは収入を得ています」
さらに、草の根の国際協力活動を実施できる日本人育成のために、主に若者を対象に研修生の受け入れも行っているイカオ・アコ。
「研修生をいつでも受け入れられるよう、ネグロス島には私たちが運営する国際協力支援センターがあります。ここで現地の方と一緒にマングローブを植え、旧日本軍の戦没者慰霊碑を訪れると『平和の大切さ』を皆さん改めて感じられるようです」
「日本人と現地の住民と、二人で植える一本の苗木と共に友情が育まれ、それは断ち切られることなく育ち続けます。これまで植林活動に参加してくださった多くの日本人の方が、自分たちが植えた苗木と友情を訪ねて、再びここに足を運んでくださっています」
日本とフィリピン、友好の証である植林を応援できる
チャリティーキャンペーン
チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、イカオ・アコと1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。「JAMMIN×イカオ・アコ」コラボアイテムを買うごとに700円がチャリティーされ、フィリピンと日本、友好の証であるマングローブの苗を購入し、植林するための資金になります。
「苗木1本あたりの植林コストは100円ほど。苗木を購入し、植林することは現地の人たちの収入になりますし、マングローブの持つ豊かな生態系と、日本とフィリピンの友情を広げていくことができます。ぜひチャリティーアイテムで活動を応援していただけたら」(後藤さん)
JAMMINがデザインしたコラボアイテムに描かれているのは、マングローブを住処として生を育むさまざまな生き物。マングローブを植えることでつながる多様な生命と、ひろがる豊かな友情と生活を表現しました。
チャリティーアイテムの販売期間は、6月8日~6月14日の1週間。JAMMINホームページから購入できます。JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。
・日本とフィリピンをつなぐ友情の証、マングローブを植えて23年。苗に託す平和への願い〜NPO法人イカオ・アコ
山本 めぐみ(JAMMIN): JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしている京都の小さな会社です。2019年11月に創業7年目を迎え、コラボした団体の数は300を超え、チャリティー総額は4,500万円を突破しました!