かつて高い食料自給率や教育水準を誇り、人々の穏やかで豊かな暮らしがあったシリア。2011年に始まった戦争により多くのものが失われました。「戦争によってバラバラになってしまったシリアを、再び平和な場所にしたい」。シリアの子どもたちへの教育支援と、日本での平和教育を行う団体があります。シリアへの思い、そして平和への思いとは。(JAMMIN=山本 めぐみ)

シリアの子どもたちに教育を届ける

「僕がいつも遊びに行っていた村の家族です。そこにはごくありふれた、しかしかけがえのない家族の幸せがありました。2015年、イスラム国がこの村を襲いました」

2011年3月に始まった戦争によって多くのものが失われてしまった中東の国・シリア。遺跡や学校は破壊され、家族は散り散りになりました。

NPO法人「Piece of Syria(ピース・オブ・シリア)」は、シリアの子どもたちに基礎教育を届けながら、日本国内において平和教育を行っています。

代表の中野貴行(なかの・たかゆき)さん(40)は、戦争が始まる前の2008年から2年間、青年海外協力隊としてシリアに滞在しました。

中野さんが任期を終えて日本に帰国した1年後に戦争が勃発。よく見知ったシリアの街並みが破壊され、多くの人たちが難民として避難する様子を目の当たりにしました。

お話をお伺いした中野貴行さん

「僕がいた頃のシリアは、昼の2時には仕事が終わり、大きな家で家族みんなでご飯を食べ、友達や親戚と時間を過ごし、誰もが無料で医療と教育を受けられる、経済的にも人間的にも豊かに生きる人たちの暮らしが確かにそこにある国でした。しかし戦争によって、そのような暮らしが失われてしまったのです」

「『戦争はすぐに終わる。それからまたシリアに行こう』と思っていたので、戦争を終わるのをただ待ちながら、何も行動することなく日々を過ごしていました。しかし戦争は終わることなく続きました。ある日、何気なく僕が住んでいた町をネットで検索してみると、イスラム国に占拠されて小学校の校庭が処刑場になっている写真が出てきました。僕が仲良くしていた村の人たちは無事なんだろうかと不安な気持ちで胸がいっぱいになりました」

シリアに滞在中、たくさんの人のやさしさや素晴らしい生き様に触れ、「身近な人を大切にしよう」と感じたという中野さん。その思いを貫くため、2016年に団体を立ち上げ、活動を続けてきました。

かつて99.6%の高い就学率を誇ったシリア。難民として逃れた先で、学校に通えない子どもたちも

トルコの補習校で学ぶシリアの子どもたち。「子どもたちには戦争のトラウマもあります。『学校は楽しい場所だよ』と伝えることも大切で、遊びながら学べる場所を届けています」(中野さん)

活動地の一つは、シリアの隣国のトルコ。難民として逃れてきたシリア人の子どもたちが母国語での教育を受けられないという問題が出てきているといいます。

「戦争が始まって最初の頃は、母国語のアラビア語で学校に通うことができていました。しかし、戦争が長引くにつれてアラビア語での授業を廃止するようになったのです」

「そうすると何が起こるか。アラビア語を母語とするシリアの子どもたちは、トルコの学校に通うことはできても、トルコ語の授業にはついていけません。またトルコ語の授業を受けているうちにやがてアラビア語を忘れ、いつかいざシリアに帰ろうという時に自分の国の言葉がわからない、ということが起きてしまいます」

「政治的な複雑さからどこからも支援が届いていなかったシリア国内の地域に教育支援を届け、現地から『ありがとう』という声が届きました」

「今、トルコに住むシリアの子どもたちの35%が学校に通えていないといいます。そうした状況を受けて、シリアの子どもたちにトルコ語とアラビア語を学ぶための補習校を運営するのが僕たちの活動の一つです」

「教育支援をするのには理由がある」と中野さん。

「戦争前のシリアは99.6%の就学率、高い教育レベルを誇る国でした。シリアの人たちに何が必要かを尋ねると、多くの人が『復興のために子どもたちの教育を支援してほしい』と話します。『子どもたちは未来だから』と。シリアの人たちは、教育を本当に大切にしてきていたのです」

そうした声に応えるかたちで2016年に活動を始め、現地のパートナー団体と、これまでに2000人を超える子どもたちの教育を支援してきました。

内戦前、シリアはとても豊かな国だった

「緑いっぱいのシリアの春です。シリアに対してこのような豊かなイメージを持っている方は多くはないのではないでしょうか」(中野さん)

戦争が始まる前、シリアはとても豊かで美しい国だったと中野さん。「しかし、そのことがあまり知られていない」と話します。

「緑もたくさんあって、食糧自給率も100%を超えていて、野菜や果物もすごく安くて、豊かな文化と暮らしがあり、治安がよくて、皆やさしい。それが僕のシリアに対するイメージでした」

「僕が初めてシリアを訪れたのは2005年です。道を歩いていると、どこから来たのかと呼び止める人がいたり、アラビア語がわからなくて困っていると、通りすがりで通訳してくれる小学生がいたり。夜外を出歩いていても危険を感じることがなかったし、携帯電話や財布を失くしても、全て僕の手元に戻ってきました」

世界で一番古い商店街と言われるアレッポのスーク(2009年撮影)

中でも中野さんが最も感動したのが、シリアの人たちのもてなしの心だったといいます。

「喉が渇いた時、日本だったらカフェに入ったりお店で飲み物を買ったりしますよね。ところがシリアでは、近くにある家をノックすると水を出してくれます。そのまま食事をご馳走になったり、泊めてもらうこともありました。バスで隣に座った人がいつの間にかバス代を払ってくれていて、びっくりして理由を聞いたら『遠くからシリアに来てくれたんだから』と言われたこともありました」

「あなたのおかげで夢が持てた」と言ってくれた少女との出会い

ブトゥーレちゃんと中野さん。「彼女から、村での日常生活のことやアラビア語を教わっていました」(中野さん)

シリアに滞在中、中野さんは一人の少女と出会います。当時12歳だったブトゥーレちゃんは、日本語を覚えては「おかえり」や「お茶を飲む?」と中野さんに話しかけてくれたといいます。

「『なぜ日本語を覚えるの?』と尋ねると、『この村の人は皆アラビア語しか話せないでしょ?だから、私が日本語を話せたら、あなたがリラックスできると思って』と言ってくれて。その言葉にすごく感動しました」

ある時、夢を尋ねると「子どもたちが夢をかなえる学校をつくりたい」と答えた彼女。そしてこうつけ加えたといいます。

「『この夢を持てたのは、あなたのおかげなの。大人たちは皆、夢なんてかなわないと言うけれど、あなたは夢を決してばかにせず、応援するよといってくれる。だから私は夢を持つことができたの』と教えてくれたんです」

戦争が起きた後も変わらなかった、シリアの人たちのもてなしの心

ブトゥーレちゃんの家族と

滞在した2年の間に、シリアのことが大好きになっていたという中野さん。戦争が始まり、かつてあれだけ幸せだったシリアがバラバラになっていく姿を見て、「まずは自分の目で事実を確かめたい」と、戦争から避難したシリアの人たちを訪ねて中東やヨーロッパ10か国ほどを周って話を聞いたといいます。2015年のことでした。

「当たり前だったはずのことが、かなわない夢になるのが戦争です。隣国のヨルダンで出会ったシリアの19歳の青年は、『昔のように家族皆でご飯を食べるのが夢だけど、僕が生きている間にその夢はかなわない』と話してくれました」

2010年、ブトゥーレちゃんが住む村の小学校で、
「この学校の校庭が処刑場になるなんて、この時は想像すらしませんでした」

一方で、シリアの人たちのもてなしの心は変わらなかったと中野さん。

「難民キャンプを歩いているとあちこちで『お茶を飲んでいきな』『ご飯を食べていきな』と声をかけられました。トルコで仲良くなったシリアの人と一緒にレストランで食事をした時は、その人がトイレに行っている隙にこっそりとお会計を済ませると『なんてことをするんだ!君はゲストなんだよ』とお金を返されました」

「自分が同じ立場になった時、果たしてそうできるだろうかと想像しましたが、とてもできないと思いました。だから僕は、シリアの人たちを『かわいそうな人たち』と伝えたくなかった。『とっても素敵な人たちなんだよ』とまず伝えて、そんな素敵な人たちが一時的に大変な状況になっていることに対して、一緒に応援する人を集めたいと思ったんです」

「あなたのおかげで夢が持てたよ」。いつか彼女に伝えたい

2009年、シリアの小学校で。この子たちは今、どのような人生を歩んでいるのだろうか

シリアの人たちを訪ねる旅の最中、トルコでシリアの子どもたちのための教育支援活動をしている26歳のシリア人の青年と出会い、彼の夢に驚いたという中野さん。

「彼の夢は『子どもたちが夢をかなえる学校をつくること』でした。そう、僕がシリアにいた頃、ブトゥーレちゃんが語った夢と同じ夢だったんです。その瞬間に、僕に夢ができたんです。『シリアの子どもたちの夢をかなえる学校を作って、彼女の夢の続きを僕がかなえよう』と」

「ブトゥーレちゃんにいつか再会した時、今度は僕が彼女に言いたいんです。『僕もあなたのおかげで、夢を持てたよ』って。僕の活動への大きなモチベーションです」

「平和とは何か」を一人ひとり考えることが、平和への道

「2008年、遺跡を歩いていると、遠足で来ていた学生たちに囲まれました。その時に撮影した一枚です」

「シリアの戦争は、政治的にさまざまな要素が複雑に絡み合っています」と中野さん。

「だから僕は、団体としては戦争を単純化して発信しないように気をつけています。単純化したほうがメッセージとして強いし、拡散しやすいかもしれません。だけど『正義vs悪』などと単純化されたものを、疑問を持たずに受け入れるのではなく、複雑な部分を理解しようとしたり考えたりする姿勢を一人ひとりが持つことが、平和への一歩だと信じています」

「シリアの戦争が始まって11年が経ちました。この10年で戦争によって失われてしまったものは大きいですが、私たちは課題ではなく魅力を伝えることを大切にしてきました。11年という節目に、『次の10年をどんな未来を描いていきたいか』というシリアの人たちの想いに耳を傾けることから始めていきたいと思っています」

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、Piece of Syriaと3 /7〜3/13の1週間限定でコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円が団体へとチャリティーされ、シリアの未来を担う子どもたちに、平和を築く土台としての教育を届けるために活用されます。

「JAMMIN×Piece of Syria」3/7~3/13の1週間限定販売のコラボアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもパーカー、バッグなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインには、シリアに古くからあるダマスク柄を用いて、シリアの豊かな土壌や文化、人々の暮らしを、噴水から湧き出る水を描いて表現しました。噴水や水の中にパズルのピースのかたちを描き、団体の活動への思いを表現しました。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中。こちらもあわせてチェックしてみてくださいね!

シリア内戦から11年。悲しみを乗り越えて、これから先の10年を考える〜NPO法人Piece of Syria

山本めぐみ(JAMMIN):
「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。創業からコラボした団体の数は390超、チャリティー総額は6,500万円を突破しました。

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