(2日目その3、大地の芸術祭の里http://www.echigo-tsumari.jp/)

古民家住民アイターン組の小暮茂夫さんインタビュー(伊藤、加藤)

話を伺った囲炉裏端


越後妻有里山協働機構の新井さんに案内され、元カメラマンと言う小暮茂夫さんのお宅をお邪魔した。

茅葺古民家に住んでいた小暮さんは震災の折に一部が壊れ、その修繕の真っ最中。
お昼休みの時間を頂き、ここに住み始めた経緯などを伺った。

彼は10年ほど前、40歳の頃の旅の途中、偶然集落に車で入りこんだのがきっかけとなって移り住んだとあっさり言う。
農業の経験が全くない彼が何か感じるものがあって入りこむのに理屈は要らないのかもしれないが、彼は古民家に移り住み、集落の方々に教わりながら棚田で無農薬のコメ作りに取り組み始め、今に至っていると言う事はどんな魅力が有っての事か、実に興味深い話だ。

小暮さんの住む集落は昔は36軒、200人が住む大集落であったが、10年前には7軒13人となり、震災でさらに半減し、現在では小暮さんを含む2軒が残るのみとなった。
だから地域の方たちと一緒になってやる仕事はたくさんあって、そこで役に立つ自分がいると言うことがその答えの一つのようだ。

小暮さんは紺の股引とゾウリに手ぬぐい。囲炉裏の前で

とは言え彼は「最初は地元の人に何年持つかと言われたこともあった。
お米にしても、石を積むにしても70のじいちゃんの方がずっときれいにできる。
しかし、自分も意地があり、助け合いの精神が残るこの村で人間関係を作りながらやってこれた。今ある田んぼや集落を残して、誰か来るのを待つばかり。」と言う。

冬季は雪にうずもれる場所の暮らしは厳しいはずだが、そんなことも楽しそうに話す彼は更に「自分の考えをしっかり持てる人は田舎暮らしに向いていると思う。
人とコミュニケーションできない人が来ても困るが、Iターン組に期待している」と言う。
修繕の真っ只中の忙しい時でもあり、次の機会をぜひ作りたいと思いつつ、小暮宅を後にした。

次号は兼業農家の小見(おみ)さんの草刈りのお手伝い(エンジンカッター草刈機を初めて使う)、これまた廃校利用の三省(さんしょう)ハウスの宿泊ネタを掲載予定。まだまだ続く越後妻有り日記、懲りずにお付き合いください。
―「2日目その4」に続く―
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