■誰かを責めている場合ではない

――被災者の方たちに変化は見られますか。

気になるのは、被災地に意地でも留まろうとする住民が増えていることです。自分がしたいのは、福島の線引きです。危険な地域とそうでない地域をきちんと分けたい。立ち入り禁止区域の住民に対しては、補償金を出して強制退去させてほしい。きちんとした金額を払えば、多くの人は出るはずです。

壊れた家を新たに立て直しても水道は?ライフラインは?と考えた時、多くの避難されている人にカメラを向ければそれはやっぱり帰りたいといいますが、本音はしっかりとした補償だと思います。どうしてもその土地から出たくないと言う地元の商業者、地主のみなさんたちには、立ち入り禁止区域を管理する仕事を与えればいい。そして、汚染されたガレキや土は一切そこに集めておく。

生産してもいいものといけないものの線引き。食料品なども第三者が日々測定しなければいけないと思います。急がなければいけないことが山積みですが、とにかく、誰かを責めている場合ではありません。

原発推進派も反対派も、まずは福島をなんとかしないと両者ともに未来はない、ということだと思います。原発反対派は、一刻も早く、福島に向けて統一見解をだし国策に訴えなければいけません。

推進派も、ビジネスを続けたいのなら、きちんと問題解決できることを証明して欲しい。全国の原発関係者はほぼ全員福島に入って、知識、技術を総動員して、三交代、四交代制で事故問題に取り組んで欲しいと思います。

■人類にかけられた暗示を解きたい

――昨年は、日本だけでなく、世界中が激動した一年でした。人類全体が、未曾有の時代に突入した感すらあります。誰もが漠然とした不安を抱えています。

これまでのような形の戦争はなくなったかもしれませんが、戦争は形を変えて今でも続いています。ここ日本でも電力会社と国が、自分たちの都合で地方を攻めている構造も一つの戦争ではないでしょうか。より複雑になる争いの形、ただまずはわかりやすい戦争や、テロといった争い方を終わらせる時が来ているのです。

「数百年前から日本の歴史を振り返り、今回の震災がどういう意味を持つかを考えるべきだ」と語る


戦争には、もう反対するとかいう次元の話ではないと思います。「戦争反対」は大戦を経験した上の世代が必死に捻り出した理念です。だから、次世代である自分たちは、その理念を一歩前に進める必要がある。


それには、「反対」だけでは駄目です。反対するということは戦争の存在を認めながらも自分は反対の立場を表明する、そこどまりです。そうではなく、戦争の存在そのものを否定する、つまり「戦争をおわりにする」ことを訴えなければいけません。


――人間が存在する上で争いは前提条件とはいえませんか。


争いを否定する気はありません。戦争やテロというルールもモラルも、そして美しさもない悲劇を終わらせたいだけなのです。「戦争がなくならないことは歴史が証明している」と説き伏せようとする人がいます。学びとは進化です。過去から学び、そして過去に感謝することが進化です。

失敗したら、もう失敗しないために学びがあるわけです。「もっとこうしたらよくなるんじゃないか」とか、「こんなことをしたら無駄がなくなった」ということを人間は繰り返してきました。でも、なぜか、戦争に対してだけは、「なくならない」と思い込んでいる。自分はその長きにわたる暗示をこの時代に解きたいのです。

世の中すべてのことが競い合い、進化しています。戦争によってもたらされる新たな技術などもあるのは事実です。ただリスクマネージメントを考えたとき、憎しみから生み出される発見より、美意識からもたらされる進化を選択する時が来たのではないかと思います。

――弊誌では、「エシカル(=倫理的な)」という単語を1つのキーワードに紙面づくりを進めています。一昔前なら綺麗事に響いたかもしれない言葉に世の中が反応しています。

社会の中で果たす自分の役割を意識し出した人は確実に増えています。意思というか使命感を持った歯車が社会の中に増えたといえばいいのでしょうか。

自分は震災以降、それまで自身に課してきた様々なルールをドンドン破るようになりました。メディアへの露出もやめていましたが、こうしたインタビューにも応じるようになりました。

それまでは「一人でやるべきだ」という信念で活動してきました。しかし、もう形振りなど構っていられない、というのが今の心境です。

被災地復興を願い灯されたキャンドル


■大地からは掘り出していけないものがある


――あれだけの天災を経験することで、自然への畏怖の念を抱く人も増えた気がします。


近代社会は大地に敬意を払うことを軽ろんじてきました。石油やウランをはじめ、資源なら何でも掘り起こしてきました。大地からは、掘り起こしてはいけないものがあるという感覚を取り戻さなければならないと思います。

またどこかで大地にかえせばいつか清浄にもどしてくれるという概念も残っています。すべてのものは循環です。とりすぎてはいけないし、また放射能汚染されたものを大量に大地にかえしていくことも正しい循環とはいえません。

天然資源に頼るのは石油で最後にしたい。例えば、天然ガスにしても、限りはある。採掘による環境負荷も無視できるものではありません。地球という生命体を意識しなければ、いずれ大きなしっぺ返しが待っているでしょう。

今後は、土、水、空気をいかに正常にするかに集中しないと各地域の観光は成り立ちません。その意識で小さな商品から総合的な都市計画まで、循環型の社会を地域を構築できれば、そしてまたそこまでの行程を商材として輸出できる。それらが、日本経済を復活させる道だとも思います。

――理に適っていると思いますが、シャーマニズム的な感覚で物事を語ることは反発を招く可能性も高いと思います。


多くの人に伝える場合は、やっぱりリスクマネジメントの部分を話した方が良いと思います。「このままだと未来はない!」と騒ぐより、「こうした方が喜ばれる」という言い方する方が効果的です。

反原発派は、悲惨な未来を引き合いに出しやすいけど、「こうした方が幸せになるよ」という言い方をした方が得策だと思います。

アメリカンインディアンの方々も7世代さきの自分の子供たちのことを想像させています。想像力の低下する今ですが2世代先の自分たちの暮らす土地の環境を想像はできるはずです。

――3月11日には、何か特別なことを計画されていますか。

特にありません。3月11日に世間が盛り上がるのは明らかです。でも、被災地は今、最も寒い時期を迎えています。派手な祭りをするよりも、自分にとっては、彼らがこの2月の寒さを凌ぐ手伝いをする方が大事です。3月11日前も、3月11日後も避難生活をされている方々とともにあります。

多くの著名人からの賛同を得た「LOVE FOR NIPPON」

 

 

CandleJUNE/ELDNACS
LOVE FOR NIPPON