スラムで暮らす子どもたちが、いつも笑顔なのはなぜだろう。そうして子どもに負けないぐらい、大人が笑っているのはなぜだろう。ある女性は言った、「笑わなければやっていけない理由がある」と。

日本人はフィリピンの貧しさや、彼らが決して幸福に満ちた人生を歩んでいないことも想像がつく。しかし、この国の陽気さに、人々の笑顔に、だまされるのだ。

NGOは悲しみにフォーカスしていては活動できない。わたしはプロのジャーナリストではないから、おいしいネタもくそもない。さまざまな人のさまざまな気持ちをリアルに届けたい。個人としての自分だからこそ、できる何かを残したい。そう思ってフィリピンのゴミ山スラムにてインタビューを開始した。(聞き手・オルタナS特派員=高橋礼)

ロルデス・アヤトンさん


ロルデス・アヤトン(62歳/女性)
職業:洗濯婦
家族構成:夫(再婚)・息子・孫(7歳)・孫(3歳)
生誕地:サマール地方
居住地:スモーキーマウンテンⅡ

― 略歴 ―
7人兄妹の3番目に生まれる。わんぱく少女だった彼女は小学校2年生の時、担当の教師に消しゴムを投げつけるという事件を起こす。勉強に興味を抱いていなかったこともあり、そのまま小学校を中退。10歳でマニラのスラム街に単身で移住してきた。すぐに洗濯婦として働き始め、14歳で最初の子どもを出産。その後、計13人の子どもの母となり、35歳で前の夫と結婚。海外に在住している祖母から出稼ぎの誘いを受け、子どもを預けるためサマール地方の実家に帰るも、子どもの反対を受け断念。実家周辺では収入を確保する手段が得られなかったため、離婚後子どもを連れスモーキーマウンテンⅡへの移住を決めた。

ーー今までの人生の中で最も悲しかったできごとは何ですか。

ロルデス:「子どもを亡くした時よ…」

そう、ぽつりと発したロルデスさん。彼女にはかつて13人の子どもがいたが、生存しているのは一緒に住んでいる息子と、別居している息子の2名のみだ。

最初の犠牲者は12歳になる男の子だった。彼の体内は寄生虫に侵されており、学校にも長いこと行けない状態が続いていた。医者には30,000ペソ(およそ6万円)で手術ができると言われたが、洗濯婦として働いているロルデスさんにとってそれはあまりに大金だった。通常、洗濯婦の労賃は大きなたらいに3杯の衣服で100ペソ(およそ200円)程度。その日の食べ物の確保すらままならないスラム内でのニーズは低く、安定した収入には繋がらない。ロルデスさんはなす術もなく、子どもは病院で亡くなった。

悲劇。それは病院から帰宅したロルデスさんを再び迎えた。マラリアに感染し床に伏せていた14歳の子どももまた、彼女が病院に居る間に自宅で息を引き取っていた。彼女はたった数時間の間に、2人の子どもを失ってしまった。

それからの年月。ほとんど毎年のように一人また一人と、子どもたちは病気を原因に命を落としていったという。子どもを看取る経験の積み重ねは、彼女の生きる気力を奪っていった。

「子どもの為に自分も死のうと、何度思ったか分からない。それでも生きている子どもがいる限り、生きなければならなかったの」

彼女の中に根付いたのは、強い後悔だった。

「わたしが小学校を中退せず勉強を続けていれば、こうして困難に直面した時、人生をどう扱ってコントロールすればいいのか、きっと分かったに違いない」

彼女はかつての自分のあり方を責め、無鉄砲な行動の数々を悔いた。そして、その思いは彼女の人格を変えるに至る。彼女はそれまでの自由奔放で大らかな自分を捨て、何事にも正しく努めようとする日々を迎え入れた。これまで以上に子どもを愛し、意識を全方向に注いだ。実の子どもにはもちろん、養母として一時的に受け入れた子どもたちにも夜間の外出を禁じ、あらゆる病気や事故の可能性を防ぐため厳しく言いつけを守らせた。

けれど、物事がシステマティックに回る一方、付きまとう緊張感は彼女を苛つかせ、相手への要求も厳しくなった。自分にも他人にも厳しくなった彼女は、人間関係の軋轢に捕らわれていった。前の夫は他の女性を愛するようになり、2人は破局を迎えた。疲れ切った彼女は、かつての人格を取り戻すことに決めた。

「後悔を子どもたちに伝えること。知識として経験を語ることよ」

母親としてのモットーは何ですかと尋ねたわたしに、ロルデスさんはそう答えた。

「自分が味わった悲しみを、子どもや孫には体験させたくない。全ての人に、自分と同じような思いをさせたくない、絶対に」

ーー「人生」をあなたの言葉で表現すると何ですか。

「複雑な悲しみです」

涙ぐみながら彼女は続けた。

「人生は対処しきれない困難で溢れかえっていて、明日何が起きるかも分からない。食べ物すら手に入らないかもしれない。誰にも私の悲しみの真意は伝わりません。話して通じる思いではない。とても孤独です」

笑顔の素敵なロルデスさん。初対面の私のことも、溌剌とした対応で迎えてくれた。とてもこんな深い悲しみを背負っているとは思えない、明るく強い女性に見えた。

「わたしにとって笑顔は、悲しみを隠す手段なの」

ここまでの話を聞いた私に、ロルデスさんははっきりそう口にした。

「自分は大丈夫だと自分に言い聞かせる。同時にそれは悲しみを背負った自分を、『悲しみを抱えた上で笑う自分』という本当の姿を表現する手段でもあるのよ」

ロルデスさんの明るさは、これまでの人生で多大な孤独を噛みしめた彼女が、思考錯誤の上一巡して手に入れた本来の自分の姿。そしてそれは長年彼女が憎み続けている姿でもある。自らを戒め続けて生きてきた彼女の、苦悩の底は果てしない。

「今のわたしは自分のためでも旦那のためでも子どものためでもなく、まだ小さく生きる術も分からない孫たちのために生きているの。自分のために生きるには、わたしの人生は辛すぎる。孫が元気だと幸せなの、とてもね」