フィリピンのゴミ山スラム街で暮らす人へのインタビュー第二弾。

ジェニファー・モラリオスさん


ジェニファー・モラリオス(22歳/女性)
職業:NGO団体ACCESS保健衛生プログラム ヘルスワーカーリーダー
家族構成:兄(24歳)、弟(20歳)、妹(17歳)、娘(2歳)
生誕地:サマール地方
居住地:スモーキーマウンテンⅡ

― 略歴 ―
15歳の時、奨学金を受けて通っていたセブ島の高校から、父の住むスモーキーマウンテンⅡ(以下SM2)に移住してきた。高校4年生(フィリピンでは6年制の小学校の後、中学校を経ず4年制高校に進学する)をマニラの高校で過ごす。学校に通いながら、あるNGOがSM2内で運営するデイケアセンター(幼稚園)で先生として働くも、職場が炭焼き小屋(炭焼きはSM2における主要産業の一つであり、居住地域にも煙が蔓延している)のすぐ隣に位置していたため、幼い頃から患っていた喘息が悪化。吐血を繰り返し、結局5ヶ月で仕事をやめざるを得ない結果となった。
高校卒業後、教会系NGO団体で再びデイケアセンターの先生として働きだした彼女に、以前同じ建物を事務所としてシェアしていたACCESSが通訳としての仕事を依頼。最初はボランティアとして、後に有給スタッフとして正式に働き始める。18歳で結婚。19歳で妊娠、翌年長女を出産。2009年1月、SM2内で発生し38世帯が巻き込まれた火事で自宅を失う。2009年5月、政府が公有地を企業に売却した関係からSM2内で2度の立退きを経験。2012年4月、離婚調停を終えシングルマザーとなる。

ーー今までの人生の中で最も悲しかったできごとは何ですか。

「自分の家族を持つと決めた時」

しばらくの間、悲しいことなんてないわよと声を出して笑っていたジェニファー(以下ジェイン)は、言い淀みながら真面目な顔をしてこう言った。

「18歳で結婚する気なんかなかったの」

ジェインの両親は彼女が3歳の時に離婚している。彼女はそれ以来、実の母親には会っていない。ジェインが結婚を決めた経緯の中には、新しい母親の存在がある。18歳当時、同居を始めていた義母とは馬が合わなかった。なにかにつけ問題が生じるが、父親はその際いつも義母の味方をしたと言う。ジェインは父親から愛されず、信用もされなくなった自分自身を家庭の中に見出し続け、ついにその孤独に耐えかね、自ら新しい家族を得る道を選んだ。

「家庭内に愛が見つからない人は、家庭の外に愛を求めるものだから」

SM2の大きな問題の一つに、青年の早期結婚・妊娠が存在する。12歳で妊娠する子どもも少なくない。それは時に両親の暴力から逃れるためであり、少ない食べ物を取り合う兄弟から逃れるためであり、また無知ゆえの結果である。子どもを作ることは独り立ちの為のステップであり、大いなる理由づけとなる。そういった風潮は若者たちの間に根強く、避妊具や避妊法の知識を持たない彼らは、再び子沢山の貧困へと追いやられ振り出しに戻る。

ジェインはNGOに取り組んでいる人間として自分が世間から白い目で見られることを自覚しながらも、まだ10代の今に家を出ることを決意した。父親に対する愛情の有無こそ語らなかったが、立退きで家を取り壊された際、父親が一生懸命建てみんなで手入れして守ってきた家を粗末に扱われた事が哀しかったと、父親が愛を込めて作ってくれた空間を失くしたことがとても悔しかったと彼女は言い、その言葉の中に父と過ごした時間への愛着が確かに感じられた。

「誰にも認められず、喜ばれず、支えの得られない結婚をするのはとても、悲しかったな」

ーー「人生」をあなたの言葉で表現すると何ですか。

「十字架」

20秒ほどの沈黙の後、ジェインはこう口にした。

「人生は十字架を背負って歩くこと。サバイバーになるか奴隷になるか、それは自分次第よ」

英語が堪能な彼女。以前、立退きと再定住の問題について地域住民に聞き取り調査を行っていた時、英語さえできればSM2にもチャンスは転がっていると語気を強めそう語っていた。

ゴミ山スラムは砂漠じゃない。

スタディツアー中に何度も日本から学生がやって来て、その度に立退き反対の署名活動への協力を呼び掛ける彼女は涙していた。もう明日にでも起きるかもしれない強制立退きに、毎日怯えながら生きている。3年前に彼女の家が火事にあったことも、一部では政府の仕業だと噂されている。最も低コストに住民を土地から追い出す手段として、実際これまでに他のスラムで用いられてきた手だった。

彼女はこの火事で高校の卒業証書を失った。もう一度教育を受けるため大学に行きたいと考えても、これが大きな壁として立ちはだかる。未だにこの経験は彼女にとって深い痛手を与えていると言う。

「笑うことは幸せな気分を与えてくれるけれど、同時に私を弱くする。自分がこの境遇を諦めて、ひれ伏しているような気がしてしまう」

私にはこの言葉の意味が分からなかった。想像でも補えそうになかった。けれど、どんなにシリアスな場面でもゲラゲラと笑い声を上げてからしゃべり出す彼女の不可解な行動が、決して明るさから来ているものではなかったという事実を知るに至った。

ジェインは自分が積み重ね、大切にしてきたものを失う悲しみを知っている。居住空間という最低限の安心を奪われる恐ろしさも、家庭という社会から切り離される孤独も知っている。その経験に意識を払って初めて、彼女の笑顔が“泣き笑い”に近い感覚だろうという思いが私の中に浮上してきた。本当に悲しい時、ふと笑った自分自身に涙してしまった経験があなたにもきっとあるだろう。彼女はいつもその張り詰めた意識の上に立っていて、不安でゆらゆら揺れているのだ。

「生きている限り、戦い続ける」

そう口にして、娘を引き寄せ頭にキスをしたジェイン。誰に対しても一度として笑顔を見せないこの2歳の子が、素直に笑える日がきっと来なければならない。あなたが全てよと囁くジェインの言葉が、どうか母親然としたものであり続けられますように。(オルタナS特派員=高橋礼)