その土地でしか獲れない在来作物を介して人がつながっていく様を描いたドキュメンタリー作品『よみがえりのレシピ』(監督・渡辺智史)。その上映会トークゲストに訪れたコミュニティーデザイナーの山崎亮氏(39)は、在来作物を残そうと人が集まってくる様子に、「弱い存在だからこそ、人が寄り合う」と話す。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆)


山崎亮さん


とりあえずのワークショップは何も生まない

——劇中の印象に残った言葉として「東京で出ているレシピ本は、東京で手に入るもので作られている。地方では、参考にならない」といった発言をあげられていましたが、なぜその発言が印象に残ったのでしょうか。

山崎:この言葉を聞いたとき、なるほどなと思いました。考えてみればそうだった気がします。全国のF1品種(バイオテクノロジーを使用した交配種)で作れるレシピ本にしないと、多くは売れないのですから。地方限定の特産品だけで作れるレシピ本を出しても、全国的には売れないですし、そもそも地方限定の特産品が手に入らないでしょう。

東京で出すレシピ本は、みんなにとって役に立つレシピ本でないと売れません。これは、東京の宿命だと感じています。

なので、東京から出る情報が全てだと思い込むことはすごく危険だなと思います。本で紹介されている料理はユニバーサルなもので、個性的なローカル料理のレシピは掲載されていません。

東京から発信されている情報と、自分たちがやりたいと思っていることにはズレがしばしば生じます。ズレているのに、勘違いして、東京の情報が最先端だから、故郷でも応用してみようと思うと失敗します。

それは、東京から出てきたレシピ本を見ながら、在来種を使って料理しているみたいなものです。それぞれの地域で獲れたものは、その土地に合う調理法で料理するのが一番ですね。

ぼくらが離島や山の中でやっているコミュニティーデザインも、その土地独特のものなので、その感覚は似ていると感じました。

——山崎さんが代表を務めるstudio-L(スタジオエル)の社員には、ワークショップを開くに当たり念入りな事前準備を求めております。「とりあえずワークショップを開く」ことに対して厳しく指導しているそうですね。実際、山崎さんは1回のワークショップに対してどの程度の準備をするのでしょうか。

山崎:1回のワークショプでは、だいたい100人ほどが参加し、2時間かけて開催します。この2時間のために、1カ月は勉強や調査に費やします。

例えば、どこかの町から声を掛けて頂いた場合、まずは町長に会いに行きます。この時は、あえて調べていきません。知らないことだらけで会いに行きます。そして、町長が依頼した「狙い」を聞きます。

町長の話を聞いたら、事務所に戻って企画を練ります。企画するときには、色々な事例を参考にするので、2週間ほど事例研究をします。

2週間で企画を持っていき、企画が通ったら、ワークショップに参加する地域の人たちのヒアリングを行います。100人くらいと話しますね。

すると、町長が言ったこととは違う話が聞けますので、新しい課題が出ます。また、戻って2週間掛けて調べます。

100人に聞けば、100通りの興味や視点がありますので、100種類の勉強を行い、徹底的に頭に積め込みます。

ワークショップを開催する時点では、コアに固まったアイデアが頭の中に20案くらいあり、その周りに、それぞれのアイデアの断片が100案くらい付随しています。

ワークショップで、コアなアイデアである20案とピッタリと一致する意見が出てきたら、「それいいね」と言って、形にしていきます。20案のアイデアとズレていたら「周りに付随している100案の情報をくっつけて、こんなんどうかな?」と提案もしてみます。あくまで、参加者が主体的に発言して、アイデアが生まれたように進めることが前提です。

全部で120案のアイデアが頭にできていない状態でワークショップを開催しても、参加者から出てきたアイデアに瞬時に反応はできません。だから、「とりあえずのワークショップは何も生まない」と言い続けています。

労働と夢と趣味を重ね合わせていく

——事前準備を積む事によって、本質的な問題点に気づけると思います。近年、東京では、おしゃれでオーガニックを楽しむお店もでていますが、この流れでオーガニックが定着していくでしょうか。山崎さんは、どう見ていますか。

山崎:おしゃれでオーガニックは、本質的にズレていると思います。たとえ、東京で、おしゃれにオーガニックを見せても、在来作物が獲れた土からの距離が遠すぎます。あるいは、作物が獲れた水からの距離が遠いです。

育てている過程がオーガニックだったにも関わらず、地方から東京まで運んで料理しているということに、違和感を感じるようになってくるでしょう。動物の毛皮を着ることで、ステータスを感じていたが、時代が経つに連れて憐れに見えてくるようになってしまったように。



見え方が変わってしまうと、社会全体が不自然だよねという感覚になってきます。東京では、農地がないことはみんなわかっているのに、オーガニック野菜を使った料理ですといっても不自然に感じるでしょう。

一回転して、東京ではマクドナルドが「自然」にさえ見えます。東京とは、そういう土地なのだと捉えています。郊外住宅地に一戸建てを建てると効率が悪いので、超高層ビルに住んだ方が、東京における「自然」な住まいです。

なので、この土地でオーガニック野菜を使っても、すごく不自然に見えてきてしまいます。

おしゃれや健康の意味を含めて東京では発信していますが、これからは、それを獲れた土地で食べることの方が、気持ちが良いものだと思えてくるでしょう。今はまだ、その不自然さが、何かにくるまれて隠されていますが、そろそろしんどくなってくるのではないかな。

——東京の若者に、エコ、エシカル、ソーシャルな意識が定着できないことには、どのような問題点があると思いますか。

山崎:ワークショップではよく、お見せするのですが、大きな紙に3つの丸を描きます。「私がしたいこと」、「私にできること」、「地域が求めていること」の3つにわけます。

この3つの丸が重なった部分が、エコ、エシカル、ソーシャルな活動なら良いなと思います。その3つの丸が重なったことは、やりたいことで、できることで、地域にとってよいことなのですから。

やりたいことと、できることなら、それはまさに趣味です。どうせ行うなら、何かにとって良いことになった方がいいので、地域が求めていることに近づけることが重要です。

やりたいことで、地域が求めていることをしたら、できることではないので、夢に終わってしまうことがあります。

地域が求めていることで、できることでしたら、やりたいことではないので、労働になってしまいます。

労働と趣味と夢の部分を真ん中に集めていくと、ストレスレスな新しい運動が生まれていく気がします。



——映画『よみがりのレシピ』では、在来作物を守るために、農家や学者、シェフなど、色々な人がつながっていきます。コミュニティーデザインの観点から、この映画の見所を教えてください。

山崎:人と人をつなげていくコミュニティデザイナーの観点からすれば、在来作物という放っておいたら、なくなってしまうかもしれないものを通じて、どういうふうに人がつながっていくかを見て頂ければと思います。

弱い存在を相手にすればするほど、人と人がつながって、その弱いものをなんとかして守ろうと手を結びます。在来作物はそういう役割を持っているのです。

しかし、思い返せば、江戸時代の頃は、在来作物は強い存在でした。人がケアしなくても主流であり続けました。しかし、今では人がケアしないと守れないものになってきているからこそ、在来作物を取り扱うという行為そのものが、人と人を結びつけているのです。

植物生態学の中では、どの植物が一番生き残るのかという議論をします。スギやヒノキではなく、野菜や果物ではないかといわれることがあります。

人間を利用できるからです。人間が食べていくために、野菜は量産や改良をなされます。自然に淘汰されずに残り続ける種は、人間に育ててもらえる価値を持った種だけなのです。

もし、植物側に脳があるとして、誰の行為を引き出せば、自分たちは繁栄していけるのかを考えた場合、戦略として、人間にアプローチできれば強いのです。

在来作物が人間に注目されているのは、彼らの戦略としては正しいと思います。人間は、在来作物によって手を結ばざるを得ない状況になっているのです。

コミュニティーデザインの立場からすれば、弱い立場である在来作物をめぐって、色々な人たちが協力して、刺激し合い、コミュニケーションを取る状態が見ていて非常に面白いです。

人間が健康のために、在来作物を守っているのですが、実は、在来作物が繁栄するために、人間を利用しているのかもしれません。そう考えると、すごく面白い関係ですよね。


山崎亮:1973/9/9
コミュニティーデザイナー/studio-L代表/公共空間のデザインに携わるとともに、完成した公共空間を使いこなすためのプログラムデザインやプロジェクトマネジメントに携わる。著書に、『コミュニティデザインー人がつながるしくみをつくるー』(学芸出版社)『コミュニティデザインの時代 自分たちで「まち」をつくる』(中公新書)