琵琶湖の東岸に位置する近江八幡は、豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に築いた城の城下町として栄えた町です。近江商人発祥の地として知られており、現在でも旧市街地にはその古き町並みが残っています。特に近江八幡のその古きよき町並みを象徴するのが八幡堀で、かつては商船が往来し、近江の商業発展を支えてきました。

しかし、昭和30年代ごろから交通網の発達などから堀は使われなくなり、次第に廃れていきました。昭和40年代になると堀には1.8メートルものヘドロが蓄積し、蚊やハエの発生源となり「公害」とさえいわれるようになっていき、八幡掘は埋め立てられることが決定しました。

このような状況の中、近江八幡青年会議所は「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」を合言葉に八幡堀の復元を目指す活動を始めました。

昭和50年には「死に甲斐のあるまち」をコンセプトに、生涯を終えることに後悔をしないような町づくりを目指し新しい運動を開始していきます。

毎週日曜日に行っていた八幡堀の清掃作業は、始めた当初は周囲の市民にも理解をえられなかったものの、諦めることなく活動を続ける彼らに、やがて近江八幡の誇りを取り戻す活動として共感の輪が広がり始め、ついに滋賀県は進みかけていた堀の埋立て工事を中止し、八幡堀は守られたのです。

平成3年には国の伝統的建造物群保存地区に選定され、その後も「水の郷百選」や「蘇る水百選」にも選ばれるほどになり、八幡堀は現在の美しい姿を取り戻しました。

その趣のある風景は、「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」など数々の時代劇のロケ地となり、毎年数多くの観光客も訪れ、多くの人に愛されています。

かつて「公害」とさえ呼ばれた近江八幡のシンボルは、市民の熱い想いによって守られ、そして受け継がれていくことでしょう。(オルタナS編集部=板里彩乃)

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