同プロジェクトでは、ユーザーが投稿したテーマに添った、写真や動画などをネット上で集めることができる。2月1日現在で、5万5千件を超える写真や動画が投稿された(連携している「Yahoo! 東日本大震災 写真保存プロジェクト」との合算)。
なかには、家族の故郷である町の風景写真の提供を呼びかけたり、応援メッセージを添えて旅行の思い出を投稿したりする人もいる。メッセージ総数は5万件を超える。そのメッセージへの、御礼として被災した人からは63件のメッセージが掲載されている。
■過去を喚起させることはどうなのか
津波の中でも耐えた高田松原の1本松があった。世間では、「ど根性松」や「希望の松」と呼ばれていた。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんは1本松の写真を撮り、後に産経新聞にコメント付きで大きく掲載された。
安田さんがその新聞を地元の人に見せに行ったとき、こう言われたという。「なんであんなところに行ったのか。津波が来たらどうするんだと言ったのに」。普段穏やかなその人が、新聞を見た瞬間に声を荒げた。
その男性は津波で妻を亡くしていた。妻が見つかったときには首から下は埋まっていたそうだ。この写真によって、その人の脳裏に3月11日の記憶がくっきりとよみがえってしまったのである。