天ぷらバスで被災地へ

 

どうしても被災地に行きたい。3月11日からずっと思い続けていたことだった。仕事中に都内のビルで大きな揺れを体感した。電車が動かず、3時間かけて歩いて帰宅した。Twitterからは刻一刻を争う情報の洪水。YoutTubeを開けば大きなうねりとなって襲い掛かる暗黒の津波の映像。もうたくさんだった。テレビを見るのを一切止めて、自分にできることをしようと決意した。

そんな時に社会人でも被災地支援ができることを知り、早速申込みした。地域密着型の自然環境保護を軸としたエコツアーを提供するNPO法人エコツーリズム・ネットワーク・ジャパンが企画運営する週末を利用したボランティアツアーだ。さらに近隣の小学校から回収した天ぷら油をリサイクルした燃料で走るバスで行くという。

メディアに紹介されたこともあり、20名の参加枠に100名ほどの申し込みが来たと後から聞いた。先着順で運良く私は参加できることとなり、4月14日(金)から15日(土)にかけて、宮城県石巻市を訪れることになった。

 

「微力でも自分にできることがあれば、何かしたい」

 

新宿駅西口、21時45分。バックパックを背負い、登山に行くのかと疑いたくなる恰好の男女が集い始める。ほどなく、スタッフに案内されバスに乗り込んだ。年齢層は幅広い。参加者は20名。そのうち2名が大学院生で、後は全て社会人だった。男女比は若干男性が多い程度。20代から50代まで年齢層はまちまちだ。

自己紹介を聞いていると、皆共通している想いがあることに気付く。「微力でも自分にできることがあれば、何かしたい」そう、社会人は悩んでいる。仕事を放り投げて被災地の支援に行くことはできない。だけれども、無関心ではいられない。ただ募金して、物資を支援するだけでいいのか。ボランティアの長期受入は多くの団体が開始しているが、週末だけというボランティアは少ないのが現状のようだ。だからこそ、定員の4倍を超える申し込みがあったのだろう。

パーキングエリアで数度の休憩を挟み、石巻に到着したのは午前6時過ぎ。石巻災害ボランティアセンターで7時からミーティングが行われ、その日の活動内容が決定される。スタッフが会議に出ている間、私たちは朝食をとり、着替えを行う。長靴、上下の合羽、帽子、ゴム手袋、防塵マスクを装備した。

 

思い出を片付けるのは辛い


今回の活動場所は日本製紙石巻工場にほど近い集落。海岸まではおよそ700メートルの場所にある個人宅の片付けをお手伝いさせていただくことになった。バスを降りると目の前の光景に目が釘付けになる。一台の乗用車が、家屋の庭に垂直に立っている。二階の屋根の上では犬が自由に動き回りながらこちらに向かって吠えている。
「津波が引いてから、戻ってきたらなんと生きていたんですよ!あの犬は南部地震の時に産まれたから、二度被災しているんです」

午前9時頃から、活動開始。まず6~7名ほどの3グループに分け、それぞれ個人宅の片付けを行う。片付けといってもやることは単純だ。家にあるもの全てを、外に出すだけだ。家具、布団、家電、おもちゃ、ゲーム、食材など、原型を留めているものの、全てヘドロに覆われて異臭を放つ。例えるならばフィリピンのゴミ山のにおいだ。マスクをしていないと正直きつい。津波は1階の天井を超えるほどの高さで襲ってきたという。1か月経った時点でも、室内はまだ湿り気を帯びていた。大きなものを運びだし、小さなものと泥はスコップでかき集めて土のう袋に詰める。しばらくは黙々と作業していた。汗が噴き出してくるが、誰も手を止めない。班のリーダーが休憩しよう!と言ってようやく水分を補給する状態が続いた。

思い出を片付けるのは辛かった。私が担当した家のお母さんは4歳の息子を津波で失った。片付けながら何度も泣きそうになり、必死に笑顔をつくる。アルバムが発見されるととても嬉しそうに眺めていた。かつて当たり前のように営まれていた日々は二度とやってこない。息子を失った彼女と私には何の違いもない。たまたまその場所に暮らしていたというだけだ。かつて訪れた途上国で出会ったストリートチルドレンや、スカベンジャー(ゴミ山でゴミ拾いをして生計を立てる人々)はどこか他人ごとではなかったか。世界を変えたいと願いながら、実は自分には関係ないと思っていたのではないか。
午前中の活動が終わり、昼食を取っている最中、上記の彼女の父親がぽつぽつと語ってくれた。妻と孫は車に乗って逃げる直前に津波に巻き込まれたこと。天井を破って屋根に避難したこと。昔このあたりは塩を作っていて、釜と呼ばれていたこと。家の瓦礫の下に妻と孫を発見したこと。

ビニール袋に入れられ、番号札を振られて火葬できず埋葬される人々のこと。被害が酷過ぎてほとんどの人々が家の再生を諦めて転居を考えていること。仕事を失い、明日も見えない状況にいる彼らに、どんなこと言っても空虚な台詞にしか聞こえない。皆そう思っていたのだろう、言葉を噛みしめるように頷きながら聞くことしかできなかった。

(2)へつづく