それはプランの支援という形の「投資」から、より大きな価値を創造しようと努力している姿だった。

トーゴで住民たちのひたむきな姿を見て、10年来の付き合いがある命題の一つの解は、たとえそれが欧米的な概念に端を発するとしても、NGOが推進する住民参加型の開発にあることを実感することができた。

住民たちの小さくとも確かな成功体験の積み重ねは、住民たち自身のエンパワーメントの糧となり、結果的にエンパワーメントの連鎖は自身の住むコミュニティーをより良いものにしようという責任感に昇華していた。

NGO職員として働き、私は生涯付き合うべく命題に一つの解を得ることができた。ただし、解を一つ得るということはそれと相反する代替解を選択する機会を失うことでもある。

プランの支援を通じてコミュニティー開発をしていく中で、文化的に失われることもたくさんあるだろう。

100年後、NGOが間違っていたと糾弾される可能性もゼロではない。しかし、今の私はプランの一員として最善と考えられる解を選択し進んでいく必要があると信じている。

途上国の人たちも私たち日本人と同じく、今ある生活をより良いものにしようと願って自助努力を重ねている。そこには途上国も日本も違いはないのだから。(寄稿・プラン・ジャパン 支援者サポート部 澤柳孝浩)


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