今年4月、金融業界で初めて「脱原発宣言」をした城南信用金庫の吉原毅理事長。だが吉原理事長がユニークなのは原発問題だけではない。「お金」という存在について、確固とした哲学を持っているのだ。私たち若者は仕事やお金とどう向き合っていけば良いのか。その極意を聞いた。(聞き手:オルタナS特派員=猪鹿倉陽子 副編集長=高橋遼)
*この記事は2011年7月に掲載されました。



■お金は人間が生み出した最大の幻想です

――信用金庫の経営トップとして、そもそもお金はどういう存在だと思いますか。

吉原:金融機関にとって唯一の商品はお金ですから、常々「お金とは何なのか」という大きなテーマを考えてきました。例えばミヒャエル・エンデの『モモ』なども読みました。

――「モモ』には「時間銀行」という不思議な金融機関も出てきます。

吉原:時間とお金は密接に関係がありますね。「モモ」はお金と効率に支配される近代社会を批判した作品です。そして、お金は自由主義と個人主義に深く関連があるのです。私は大学で「お金とは何か」を学びました。

近代経済学では、お金は「交換機能」と「価値尺度機能」と「価値保存機能」という三つの機能があるものと定義しています。これを貨幣機能説という。きれいに言うとそうですが、金融機関に長く勤めた経験も踏まえて考えると「自己幻想、つまり個人主義が作り出した最大の幻想がお金である」と悟ったのです。

――具体的にはどういうことですか。

吉原:お金の交換機能とは「あなたと私は主体が別だ」という意識の下に行われます。価値保存機能とは「あなたにはあげないで、自分で貯め込む」ことです。価値尺度機能は「物事は自分を中心とした一元的な価値で合理的に判断できる」という一つの妄想です。

すべて「個としての自分が存在する」という幻想、自分中心の意識、つまり個人主義がつくりだした妄想です。その妄想は非常に便利ですが、同時に、非常に危険性があるのです。こうしたお金の危険性は、近代経済学だけではなくマルクスなども指摘していました。

■お金は、持てば持つほど孤独になる

――学生の就職活動を見ていると社会起業を志す学生が増えている一方で「安定志向」の学生もいます。今、転換点にいる若者に対して「お金に対する考え方」を教えてください。

吉原:「お金を儲けて幸せになるか」を考えましょう。お金は持てば持つほど孤独になります。多額のお金、身分不相応なお金を持つと、もっと不安になります。会社の社長が孤独なのはたいていそうです。

つまり、お金を持つと守りに入る。そうすると人が信じられなくなります。人よりお金を持っていると「みんなうらやむだろう」とか「俺の地位を狙ってくるのではないか」と思うわけです。「いつまでも地位とお金を得ていたい」という意識が、社長が孤独になる原因です。走れメロスの王様は、昔は名君だったのが、やがて人を殺すようになる。人を信じられなくなるからです。「私も昔は人を信じていた」と述懐するシーンがありますよね。

私は全然孤独ではないですよ。なぜなら、私は年収が支店長以下なのです。月100万円頂いていますが、支店長は年収1350万円、役員は2~3千万円です。理事長に就任し、自分の給与は自分で決めました。トップの仕事は「みんなを守り、幸せにすること」であり、自分のことを考えていたのでは、とてもできないと思ったからです。

■役員給与は完全年功序列制で―モノ言える組織に

そして、私以外の役員は、完全年功序列制にして、給与体系をルールで決めたのです。コーポレートガバナンスで一番大事なことは取締役会が監督機能をきちんと果たすことです。しかしトップを牽制しなければいけないはずの取締役会が、機能していない。それは米国から来た間違った経営思想によるのです。

例えば会社法が改正され、取締役会の任期が短くなった。取締役の報酬も多額になっている。その結果、取締役がトップにより、アメとムチにより支配されるようになってしまった。取締役の地位を不安定になれば、トップにものを言えなくなり、トップが暴走するのは当たり前です。取締役の地位を安定させなければ、結局、恐怖政治になってしまう。

取締役の地位安定のためには定年制を決めて、一定期間に限り安定を保証するのが良い。同時にトップにも定年制を厳格に適用し強制的に交代させる。当金庫ではトップも含めて全員60歳で定年にしました。また専務であろうと常務であろうと役員は全員同じ給与に統一しました。このようにルールで処遇を決めれば「俺のいうことを聞かないやつは給料を減らしてやる」いうアメとムチによる支配が不可能になります。

賞与考課や昇給考課もなく、すべて一律に年功序列にしました。すると地位が保障されるので、取締役の皆が自由に発言できるので、社長も暴走できません。成果主義というのは、金のために働くということで、一見正義に見えますが、実は会社の奴隷になることです。実は、成果主義はアメリカの経営学にもない邪説なんですよ。実際にも金だけに目を向けた個人主義、成果主義は、やはり、世の中の間違いを起こしていると思います。

■全人格的に自分を投入できるような会社を選ぶ

――そうすると、若い人たちはどうすればいいのでしょうか。

吉原:全人格的に自分を投入できるような会社を選ぶのが一番です。グーグルなんかはまさにそうで、日本的経営の良さを取り入れています。日本的経営のような全人格的に帰属できるような共同体的経営、家族的経営が良いのです。

ただし、公共的、社会的な使命や目的、ビジョンがしっかりしていないと困ります。特にトップが自分のこと、損得しか考えないようなことでは困ります。家族的経営と言っても、自分勝手でバラバラな家庭と、お互いに思いやりと節度を持った家庭では全然違いますけどね。最悪なのは、「お前たちには金を払って働かせてやっているのだから黙って働け」という会社。これは絶対にやめたほうがいいです。

■「釣りバカ日誌」浜ちゃんも役割を果たしている

――従業員たちのやる気は、成果主義ではないほうが上がるということでしょうか。

吉原:そうですよ。誰だって、奴隷のような気持ちで働きたくないですよね。人としていろいろなつながりができて、よい仲間がいて、お互いに尊重しあえる会社、自分がどんどん成長できる会社がいいですよね。それに、個人の成果というのはしょせん計測することはできないものなんです。

例えば「釣りバカ日誌」の浜ちゃんは全然外れているけど、会社の中ではすごい役割を果たしているのです。異能な人がちゃんと役割を果たしています。つまり、会社には、社長や人事部から見るとろくでもないと思われる人が、実はスゴいことがあるのです。社長の見方が未熟な可能性もあります。

だから評価はやはりできないですよ。だから年功序列がせいぜいで、むしろ無理に評価なんかしないほうが良いのではないかとも思います。無理に評価などしないで、「自分の思う存分やりなさい」と言って、よい点を見つけて「すごいね」と言って、お互いに認めあっていければ、それで良いのではないですか。

お金は必要に応じて払いますが、それに満足できないで、「他人よりももっとお金がほしい」と思うような自分中心の人は、成果主義の中で奴隷として働くことになってしまいます。目先の損得勘定で入ると、逆に使い捨てにされてしまうのです。企業経営者としても、お金だけでなく、本当に従業員一人ひとりの将来を考えた、日本的経営を志向すべきだと思います。

■理想を実現するしたたかさを持つ

――企業経営が難しい局面に来ているなかで、若者たちの価値観が変わってきています。こういう人たちを上手く使うやり方を社会全体で考えなければなりません。

吉原:若者たちは純真です。けれどもある意味子供っぽい。それはいいことなのですが、そのピュアなものを忘れずに、もっとたくましくしたたかに戦って頂きたいですね。

「ビジョナリー・カンパニー」という本にもありますが、指示や命令があるのではなく、皆が同じ理想をもって、ひとつの方向に動いて組織の力を発揮していくのが望ましい。そうすると、ピンチの時でも、指示を待つことなく、的確に解決していけるのです。

そういう意味では東京電力さんの現場は偉いですよ。取締役が機能していなくても、現場は機能しているわけですよ。それをトップがサポートできれば、良い組織になる。

――東京電力の役員たちからはそういうものは感じられませんね。

吉原:自分が逃げることばっかり考えている。あれが自社のトップだったら社員たちは怒るでしょう。社長たちはいさぎよく退陣しろと思うでしょう。私たちは昨年11月の理事会で同じことを考えました。自分のお金だけを考えて、会社と社員とお客様のことを考えていない者はやめていただきたいということです。

――世間では「城南信金のクーデター」と言われました。

吉原:そう言われると何なのですが、正々堂々と法的に取締役会で圧勝しました。

―――何対何で勝ったのですか。

吉原:12人中9人が賛成です。城南信用金庫の総代さん(顧客代表)は全員賛成でした。総代さんたちは「前から良くないと思っていた、とんでもなかった」と仰ってくれました。羊の群れになると怖い狼に従ってしまう。勇気がないからです。みんな羊じゃダメなのです。みんなもっと声を上げなければいけない。

そうすれば、みんなこれはおかしい、ちゃんとした会社の運営やって、ちゃんと社会に貢献していきましょう、となるはずです。一人ひとりの企業人として、誇りとプライドを持ち、正義のために牙をむけということなのです。

それがあって初めて、ちゃんとした企業経営ができる。勇気が足りないのは、自分のことしか考えないから、お金に毒されているからでしょう。こうした意識で城南信用金庫は11月10日にトップを変えた。我々は何のために働いているのか。お金ではない、企業としての社会貢献をするためです。

■お金は人を暴走させる

――城南信金の自己資本比率は12%と、かなり良い水準です。そのバランスについてはどのようにお考えですか。

吉原:私も就職した当時は「やはりお金のために経営を行うべき」という考え方でした。ところが歴史的にそのやり方はことごとく失敗しました。日本列島改造論、オイルショック、バブル経済の崩壊、長銀の破たん、リーマンショックと、ことごとく失敗しました。

日本に大銀行が13ぐらいあったけれど今は半分以下です。しかも巨額の赤字を出して、税金を払ってないところもあります。信金業界は私が就職した当初は456で、今は271。まだ半分以上生き残っています。

なぜかというと、結局、合理主義の間違いなのです。つまり、合理主義、効率主義により、利益を目的として動けば動くほど大失敗するのですね。合理主義、効率主義の人の頭の中は論理の過程ばかりを見ていて論理の前提を見ていないのです。近視眼になるわけです。しょせん合理主義の考え方は子供なのです。

例えばサブプライムローン問題。あれは数学的なモデルに基づいて、まだ行ける、でもおかしいと思いながらまだ行けるとやっていました。リスクテイク・バブルといって数学的にリスクを計算するとまだまだ行けると考えて、常識を超えたことをやっていたわけです。

なぜ住宅ローンを出しても不良債権がでなかったかというと、移民など、収入が無く返済できるはずがない人間にローンをつけて住宅を買わせたので、住宅の値段が上がっていきました。だから収入が無くても、その土地を売却すれば、全部返済ができ、不良債権にならなかった。

それでサブプライムローンは不良債権の少ない有力な商品だというふれこみで海外に持って行きました。表面的にはそうですが、中はぐちゃぐちゃです。道教の「無用の用」は、一見無用に見えるものにも目を向けないと大失敗するということですが、まさに最近の金融の歴史だけを見ても明らかなのです。

――原子力も同じですね。「これで安全だろう」ということが通用しませんでした。

吉原:そうです。しかも知っていながら暴走するというのがお金の怖いところなのです。「明日のお金がないと自分はやっていけない」ということを考えるからこうなってしまうのです。そうして、だんだんとつじつまのあわない嘘までつくようになってしまう。視野が近視眼になってしまい、その結果、大損するのです。

――すると原子力も「近代合理主義が生み出した魔物」であるということですか。

吉原:二重の意味でそうですね。技術進歩という面とお金という妄想ですよね。結局、お金は人を暴走させてしまうのです。


吉原毅さんプロフィール: 56才、東京都大田区出身。昭和48年麻布学園卒、昭和52年慶應義塾大学経済学部卒、同年城南信用金庫入職、平成4年理事・企画部長、平成8年常務理事、懸賞金付定期預金などの新商品の開発などに従事。平成10年常務理事・市場本部長、その後、事務本部長、業務本部長を歴任し、平成18年副理事長、平成22年理事長