「女工哀歌」という、中国縫製工場のドキュメンタリー映画がある。10代の女の子たちが時給8円、長時間の過酷な労働条件で作るのは、欧米で売られるセール用のジーンズだ。
映画の終盤、工場で働く16歳の女の子は、できあがったジーンズのポケットに、こっそり手紙を潜ませる。
彼女の作った服を着る人にその手紙が届く事を夢見て。「このジーンズをはくあなた、あなたはどこに住んでいるの、何歳のどんな人なの?・・」作り手は、自分が作ったものを使う人へ関心がある。
一方、消費者サイドはどうだろう。作り手に無関心な人の方が大半である。オルタナSの読者ならば、エシカルが、商品選択の「付加価値」だと知っているだろう。
しかし今の日本では、エシカルだから売れるか売れないか、の議論以前に、エシカル消費=背景を考える、という行為自体を知らないために、エシカルが販売促進の切り口にすらならない、というのが現状ではないだろうか。
高校家庭科で、エシカル・ファッションを題材に、消費の背景へのまなざしを育てる授業を行っている。
事前に生徒にアンケートを行ってみると、エシカル、という言葉を聞いた事がある生徒は皆無に等しい。
購入時の選択の理由には、「値段」が一番先にくる。背景を何も知らず、想像せず、目の前の商品だけ見て選んでいるのが一般的だ。
けれども、自分たちの買う物の背景を知ると、10代の生徒たちは、変わる。「いつも安い方がいいに決まっている、と思っていたけれど、裏でこういうことが起こっているのを知ってショックだった」「どこで誰が作った物か、気にした事がなかったけれど、考えが変わった」「私たちに何ができるだろう」・・・
学校でできることは、背景を考える、という行為の存在を伝える事。自分の消費スタイルが、作り手や、環境にどのような影響を与えるのか?全て理解した上で、何を選ぶのかは、その先の選択だ。
10代の生徒にとって好感度の高いエシカル商品が増えてきたことも、教育に役立っている。
全ての物は、どこかで誰かが作って、私たちの手元に届く。まずは、知る事。何が背景に広がっているのか、理解する事。背景へのまなざしを持つ若者が増えること。そこから全てが始まる。(寄稿・お茶の水女子大学附属高等学校教諭 同大学非常勤講師 葭内(よしうち)ありさ)