エシカルを突き詰めると「どう生きるのか」にたどり着く。エシカルは、直訳すると「倫理的・道徳的」という意味の形容詞で、よりよい社会にするために、消費者や企業にとっての行動規範として使われる。
よく、洋服や食などの生産、流通、消費過程を通して、エシカルの重要性は伝えられる。言い換えると、環境問題や社会問題を通じてエシカルを伝えているのだ。
しかし、国内でのエシカルの認知率は約13%ほどで、10%を獲得しているが、まだまだ低い。この原因はこの伝え方にあるのかもしれない。
社会問題に関心を持つには、その問題を「自分事」にすることがマストである。
ならば、人が最も「自分事」として考えられるのは、その人自身の「生き方」である。生き方からエシカルを伝えると浸透していくのではないだろうか。
現在の若者たちの関心事として上位にあるのは、「他人の生活」である。フェイスブックやツイッターが証明しているように、「他人の生活」の集まりに夢中になる。
この流れはネットの世界だけではなく、リアルの世界でも起きている。若者が好意を持つ観光旅行の要素は、豪華な旅館や温泉などの既存の観光資源ではなく、その土地で暮らしている人の生活文化である。
これは外国人に対しても、同様であるが、情報誌で掲載されている有名なスポットよりも、その土地の人しか知らない居酒屋や食に対して興味を持つ。
このように、マスの情報から、個人の情報に関心が移った背景には、情報の均一化も原因としてあるが、なにより、「人生を模索し始めた」ことが影響しているのではないか。
どのように生きたいのか模索していることで、「他人の生活」を参考にしたく、興味を持つ。もっと丁寧に言うと、「その人らしく暮らしている人」に興味を持つのだ。
フェイスブックでも、共感を集める投稿は、広告宣伝や美味しい料理、きれいな女性にかわいいペットよりも、「その人らしい投稿」である。
今の時代、「自分らしく生きたい」とは多くの人が望んでいる。しかし、それができないのはなぜか。
若者たちの生い立ち(特に都心部)を見ても、ディズニーランドやスーパーファミコンなど、緻密にマーケティング化/プログラミング化されたサービスが流行ったので、余暇時間さえも、何も考えなくても、楽しい時間を過ごせてきた。
ただし、そのような、「与えられるサービス」に慣れてしまったことで、自分で人生の楽しさを見つけることをしなくなってしまい、できなってしまった。
常に与えられてきたことで、いきなり休みをもらうと、その日、何すればいいのか分からなくなる人もいるだろう。さらには、スケジュール帳の空白を無意識のうちに埋めたくなる人もいるだろう。
こうして、無意識に多忙な生活を送ることで、昨今の社会問題としては、若年の鬱病や自殺が増加している。就職氷河期やいじめの悪化などが背景とされているが、そもそもそれらの問題をつくりだしてしまう背景にはあるのは、「自分の存在価値を見出せないこと」ではないか。
だから、今、必要とされることは、自分の人生を考えることだと思う。人生を俯瞰してみることで、自然と自分の人生を考えることとなる。
誰しもが、その人らしくかっこいい人生を送りたいと願うはずだ。若者たちが抱く「かっこいい」概念も、「上昇志向」「成り上がり」「一匹狼」(高度経済成長期時代の人が20代の頃に抱いた概念)から、「まじめ」「優しい」「仲間思い」に変化した。
「巨人の星」や「明日のジョー」のように、アウトローが個人の力で環境を変えていたヒーロー象から、「ポケットモンスター」や「ワンピース」のように、仲間をつくって、みんなで世界を変えていくヒーロー象に変わった。
かっこいい概念が時代に応じて、エシカルに近づいてきているのは、私は確信している。
自分の人生で、心の底から「かっこいい」と思ったときはいつだろうか。持論だが、自分にとってのかっこよさを理解できていれば、理想とする生き方も見つけやすくなるはずだ。
「あのときに知っていればよかった」「あの頃に戻れたら」と嘆いても、時間は戻らない。まだ人生の軸が定まっていないということは、これから自由に人生の軸を定めることができるということだ。
「ライフスタイル」を考えることは、これからの時代を生きるうえで、不可欠であり、「その人らしい生き方」を送っている人が、社会から重宝されていくだろう。
オルタナSでも、ライフスタイルについて着目していきたい。生き方について悩んでいる人や、一歩踏み出すことをためらっている人は連絡をしてきてほしい。一緒にライフスタイルについて考えたい。(オルタナS副編集長=池田真隆)
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