アフリカ児童教育基金の会(ACEF)の医療スタッフである塩尻大輔さんは9歳のときに家族とともにケニアに渡り、ナイロビ大学医学部に進学・卒業し、医師となった。今は医師としての学びを深めるために日本の病院に勤務しているが、人生のほとんどをケニアで過ごしてきた。両親は現地でエイズ孤児院を立ち上げた。裏切りに遭ったり騙されても、30年弱支援活動を続けてきた。このたび、塩尻さんは、この孤児院を支援するための資金をクラウドファンディングで集めている。家族で取り組む内容や意気込みを聞いた。(聞き手・READYFOR支局=吉田 梨乃・オルタナS支局スタッフ)

※塩尻さんたちの挑戦は、クラウドファンディングで目標金額以上の支援金を集めることができ、エイズ孤児院に電気や水の設備を整えることができるようになりました。クラウドファンディングの残りの期間では、エイズ孤児院を持続的に運営していくための仕組みを作るため、ダチョウファームの開設プロジェクトに挑戦しています。<詳しくはコチラから>

ACEFの医療スタッフの塩尻大輔さん

-現地のコミュニティに溶け込みながら活動するNGOの方に、私は初めてお会いしたのですが、塩尻さんは支援に対してどういう思いを持って活動をしていらっしゃるのですか?やはりご両親の影響が強いのでしょうか。

塩尻さん:全て成り行きで今まで来たと思っています。最初にケニアへ行ったとき、1980年代に大きな干ばつがあって、父親が一念発起してケニアへ移住したんですよね。最初は私たちにとって「支援」とは「応急処置」でした。餓死している子どもがたくさんいて、死の瀬戸際にいる子どもがたくさんいる状況だったので。一日一日を暮らしてもらうために食料を提供していたのが始まりでした。

しかし家族でケニアに住むようになり、人々の暮らしや文化、ケニア人の性格を知り、「支援」は徐々に形を変えていきました。私たちの「支援」は、その人々がより良い生活や人生を送るために、「必要なことをともに考え、形にしていくプロセス」になっていったのです。

山道で怪我をする人が多いらしいと聞けば、「足場をよくするために階段を作ろう!」子どものいる女性が働きづらいと聞けば、「子どもを預けられるように幼稚園を作ろう!」など。

ただお金を与えたり、こうしたら良いと一方的に押しつけたりするものではなく…。「なぜそれをする必要があるのか」「続けるメリットは何か」「どうやってお金を使うのか」…。一緒に考え、必要なことは教えます。彼らの声にも耳を傾けて…。

必要だと感じれば、家や学校、病院を建てて、それが時間をかけて町に馴染み、人々の生活を豊かにするところまで協力する。ここまで見届けられるのは、長く住んでいるからこそだと思います。

—現地の方々と信頼関係を築いているんですね。

塩尻さん:そうですね、時間はかかりましたが。

何もないところから始まった活動ではあったのですが、病院を建てたり、学校を建てたり、そうして村が活性化していって、子どもたちが学校に通えるようになってきました。

父が教師の中でも優秀だったスタッフに声をかけて、今の校長先生になったりして。今、父はほぼ学校のことには関与しないで、ケニア人だけで運営をできる状態にまでなりました。

また私たちも、現地の人たちからたくさん学ばせてもらい、国際協力のノウハウを実践的に身に着けていきました。私たちが支援した現地の病院や学校は、今では支援に依存しない黒字経営の施設になり、自立した運営をしています。

その中でもみんな、「塩尻さん、塩尻さん」と、今でも慕ってくれていて良い関係を保っています。そして両親は大きく成長したスタッフをみて、一緒に過ごした時間を思い出し、ジーンとする。まさに親のような心境ですね。

残念ながら、私たちはケニア外から来る支援団体のプロジェクトが、せっかく長い時間かけて形になったのに、ケニア人によって運営されるようになった途端、元の状態に一瞬で戻ってしまう…そんな状況を何度か見てきました。もちろん成功したものもたくさんあるんですけど。

私たちの活動はそばで見守れる分、「その後うまくやっているかな」、「何か困ってないだろうか」と気になるものです。

地域で暮らしながら実施している、地域に根差した活動だからこそ、信頼が生まれて持続的な活動ができているのだと、塩尻さん

-Readyforのプロジェクトページを見ていると、現地の方にお金を盗られたり、水増し請求をされたこともあると伺ったのですが、信頼関係を築くのは難しくなかったのですか?先進国から来た日本人として、「上から目線だ」と見られてしまうこともあったのではないかも気になります。

塩尻さん:上から目線だと言われた経験は、なかったと思います。独裁的にやっていたわけではなく、いろんな国のボランティアが支援に来ていたこともありましたし。

ボランティアの方は、みんな優しい方が多いですし、「支援してあげたい」という気持ちで来ている方が多かったのでそんなことは全然ありませんでした。最初の頃はもちろん信頼を得るのに時間がかかりましたけど(笑)。

ただ、一緒に活動をする中で、徐々に「この人たちについていけば間違いない」と思ってもらえるようになっていきました。「(塩尻さんのつくった)ここの病院で働きたい!」とか「この学校で働きたい!」と、人が殺到してきて、現地の人と仲良くなっていったのです。

父はたくさんのケニア人を雇いながらも、スタッフの性格だけでなく、家族構成や家庭環境なども一人ひとり把握して、いつもそれぞれの得意なことや苦手なことに合わせた働き方を提案していました。一人ひとりに寄り添ったサポートができるよう今でも父は努めています。

「だまされるようなことがあって、ケニア人を恨んだりしないのか」とよく聞かれますが、ただ一言「私たちも成長させてもらっているから。授業料がタダの学校に通っているようなもんだ」と言っていました。

ACEFの日本人ボランティアとの共有ダイニングでの食事風景

-現地の方々と信頼関係を深く築けた理由は何だと思いますか?

塩尻さん:現地の方々と同じ目線で考えることができていたからだと思います。話は長くなるのですが、私たちが活動しているエンブ地域の土地は、エンブ市長さんが父に「活性化して欲しい」と頼まれて提供されたものでした。その土地は10,000坪以上あって、その中にこれまで病院や学校を建ててきました。

広い土地があれば大きな家をたてて、お手伝いさんを雇って住むことも途上国ではあるかもしれませんが、両親は敷地内にたてたケニア人スタッフやボランティアスタッフが使うワンルームで何年も住んでいます。

食事はボランティアさんやスタッフと共有しているダイニングで一緒に食べているので、本当に寝るだけの部屋です。

そのことは現地の人も知っていますし、やっぱりそれが現地の方々に信頼される理由なのだと思います。私利私欲のためにやっているわけではないし、同じ目線で喜怒哀楽を共有してきました。

私たち兄弟も、日本人だからと特別扱いされることはなく、周りのケニア人の子どもたちと同じように一緒に育ってきました。なのでアイデンティティも日本人というか、もはやケニア人ですね(笑)。

周囲の幼馴染は皆ケニア人でした。ケニアの文化や風習に触れ、現地の方々と近い視点で活動ができているのは私たちの強みだと考えている

-今回のクラウドファンディングでは、最初の目標であったエイズ孤児院に水と電気を届けるための資金の調達に成功し、次はダチョウファームを開設するために挑戦を続けるとのことですが、プロジェクトについて詳しく教えていただけますか?

塩尻さん:ダチョウファームの開設プロジェクトは現地の要望もあるのですが、父親が長年描いていた構想でもあります。

「どうしてダチョウなんだ?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、このプロジェクトは、今私たちが運営している孤児院が、持続的かつ自立的に活動していくために必要なプロジェクトなんです。孤児院の運営というのは、どうしても資金繰りが困難で、お金の援助がないと継続していけない活動です。この活動を持続的にしていくために、「何か新しい仕組みが必要だ」と考えた時に、ダチョウファームの運営プロジェクトが一番合理的でした。

ダチョウは飼いやすいですし、丈夫で繁殖力もあって、貴重な収入源にもなります。今の地域はかなりの乾燥地帯なのですが、そういう場所でもダチョウは生きていけるんですよね。

最初は10匹とか20匹からスタートしていく予定ですが、将来的には観光客も呼べるようなダチョウファームみたいにしたら面白いかなと思っています(笑)。

ケニアの中でも成功しているダチョウファームの方と父が繋がっていて、すでに視察にも行きました。実現すれば、その施設の成功のノウハウも教えてもらえることになっているので、うまく軌道に乗ればこれから自立してプロジェクトを実施できると確信しています。

ただデメリットとしては、初期投資として費用がかかることと、雛を育てることができるかどうかです。でも今回、資金調達に成功したことで、孤児院にも電気が通るようになったので、孵卵器が使えるようになりました!ダチョウの卵をかえせる可能性が高くなったんです。これも皆様の支援のおかげです。

あと、気をつけなければいけないのは、野生動物がダチョウを狙うということと、第三者に盗まれてお金に換えられてしまう可能性があることですかね。

頑丈なフェンスを作る必要があるので、電気が通った関係でフェンスももしかしたら、電柵にできるかもしれないです(笑)。 このプロジェクトは、実現さえできれば本当にメリットばかりだと思っています。

今後の活動の展望について語る、塩尻さん

-なるほど。ということは、一から始まる新しいビジネスモデルを作るということですよね。これからダチョウファームを具体的にどのようにしていきたいとお考えですか。

塩尻さん:動物を飼うということで、子どもたちにもいい刺激になると考えています。家畜とはいえ、子どもたちも「育てる」ということの大切さを知ることができます。

サファリで有名なケニアですが、意外とケニア人の中で野生動物保護に関する意識が低いのは、大きな問題でもあるんです。

それから、ダチョウって乗れるんですよね(笑)。だからレジャーファームとしても運営できて、地域も活性化するだろうと思っています。

孤児院のあるマキマの周辺には、娯楽施設はほとんどありません。ダチョウファームができれば、口コミで噂は広がり、近隣の町から人がたくさん訪れるはずです。また、孤児院は人の往来があるアクセスの良い場所にあるにもかかわらず、ケニア人が「エイズ孤児」に悪いイメージを持っているため、外から人があまり来てくれません。

ダチョウファームの存在によりもっとここを訪れる人が増えれば、孤児院の子どもたちも外部の方々との交流も増えるのではないかと思います。そうして交流が生まれることでエイズ孤児院のイメージもだいぶ変わってくることを期待しています。

エイズ孤児院の子どもたち

最近では、米国のNPO団体がエンブに高校を建てようとしている計画があります。これまで地元に高校がなかったので、子どもたちはわざわざ別の町へ行かなくてももっと勉強できるようになります。

将来的に、エイズ孤児院から高校まで通えて、国立大学に受かるような子どもが出てくるような、そんな町にできるかもしれません。

ただ、この地域にはまだまだたくさんのエイズ孤児の待機児童がいます。母の元に「うちの子も預かってほしい」という親は多く訪れ、その度に心は痛みます。しかし、現在30人と決めている枠を増やす予定はありません。

このように多くの問題が山積しているマキマに、ダチョウファームはたくさんの新しい風を吹かせてくれるでしょう!必ず、実現させたいと思っています。

-最後に、今後の活動に関する意気込みを教えてください。

塩尻さん:正直な話、両親がいつまで支援を続けられるか、分かりません。どちらも70近い年齢になっています。

これから、今まで継続してきた活動をどうしていくかが大事だと二人は思っています。今では父親は、自分たちがいなくなった後のことを考えて、ケニア人の後任の育成に力を入れています。

優秀だと思ったケニア人には、資金を提供して、日本に研修に送り出すなど、必要な支援は惜しみません。その姿を見て、ケニア人たちも父からいろんなものを吸収しようと熱心に勉強しています。

私も、今は医療の学びを深めるために日本に来ていますが、いつかケニアに帰ろうと思っています。

私にとっては、ケニアが、自分が生まれ育った故郷ですし、両親が大切にしてきたものをこれからも僕なりの方法で守っていきたいと考えています。

そうして持続的かつ現地に根差した活動を続けていくためにも、今回のクラウドファンディングでは、皆様からのご支援が必要です。是非、プロジェクトページをご覧いただき、私たちの活動を応援してください。

これからも、塩尻さんらしい方法で両親が大切にしてきたものを守っていく

塩尻さんたちが挑戦しているクラウドファンディングは、2017年3月15日(水)23時まで!是非下記のページよりご覧ください。

クラウドファンディングで挑戦中のプロジェクトはこちら

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