ネパール人女性の登山家二ムドマ・シェルパさん(22)は、2008年に17歳の若さでエベレスト登頂を果たした。二ムドマさんはヒマラヤ渓谷のふもとにある小さな農村で生まれた。貧困で空腹に苦しんでいたが、「学校に行けば給食が食べられた」と話す。途上国では、空腹のまま登校する小学生が6600万人いるとされる。二ムドマさんから、学校給食の大切さを聞いた。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆)

学校給食の大切さを語る二ムドマ・シェルパさん

――エベレスト登頂の夢はいつごろ抱いたのですか。

二ムドマ:私は子どもの頃から、何か大きなことをしたいと思っていました。何をしたいかははっきりしていませんでしたが、常識を超えた何かをしたいという漠然とした夢がありました。

女性たちで、世界7大陸最高峰登頂を目指す「7サミットウーマンチーム」の存在を知ったとき、直感で「これは私がやるべきことだ」と思いました。

――エベレストに登頂する夢について、周りの人の反応はどうでしたか。

二ムドマ:エベレストに登頂することは、チャレンジングなので、ネガティブな反応が多かったです。学校の先生や友達、両親も怪我を心配していました。もともとネパールでは登山家が少なく、ましてや女性の登山家は稀です。女性は身体的にもメンタル的にも男性と比べると弱い立場にあるとみなされてしまうので。

――それでもやろうと決心した原動力は何でしょうか。

二ムドマ:メンタル的にも、肉体的にもチャレンジングではありましたが、ネパールでは、女性は強いものではないとされている常識を変えたかったのです。機会を与えられれば、女性でも何でもできるのだということを証明するために動きました。

――登頂に成功したときに、周囲の反応は変化しましたか。

二ムドマ:まったく違う反応が起きましたね。見直してくれて、子どもたちにもよい見本として私のことを話してくれるようになりました。

学校給食が支えるもの

――二ムドマさんの子ども時代の暮らしを教えてください。

二ムドマ:ヒマラヤ渓谷のふもとの小さな農村で生まれました。親は農業をしており、とうもろこし、大豆、芋、野菜などを収穫していました。農業に依存しており、インフラも乏しく、食糧不足はその村が抱えていた問題の一つでした。ネパールの25%は1日1ドル以下の生活をしていて、その地帯でも、1日1ドル以下で暮らしている人が多くいました。

一つだけ小学校がある以外は何もなく、町まで歩いて3日はかかります。6人兄弟でしたが、学校に行けば給食を食べられるからと、両親は学校へ行かせてくれました。

――学校給食では何を食べて、どういう思いで食べていましたか。

二ムドマ:温かい牛乳とおかゆを食べていました。おかゆは子どものときに食べたものの中では、一番甘いものでしたね。家ではいつも薄いおかゆや蒸し芋ばかり食べていましたから。給食は身体を強くし、勉強に集中することもできました。

――学校給食の意義を教えてください。

二ムドマ:学校給食は、私の人生を大きく変えてくれました。子どもたちの人生を明るくするよいものだと思っています。正直に話すと、当初学校には、食べるためと遊ぶためだけに行っていました。それくらい食糧不足に悩んでいたことが原因としてあります。

日本は発達している国ですから、途上国のように飢餓や貧困に直面することはないでしょう。でも、一方で、世の中には何万人もの子どもたちが苦しんでいる実情があります。関心を持った若者から、問題解決へ協力してほしいです。

【二ムドマ・シェルパ】
登山家。1991年5月19日ネパール生まれ、22歳。国連WFPの学校給食支援を受け、エベレスト登頂という夢を17歳のときに達成する。現在は世界7大陸最高峰登頂を目指す女性のチーム「7 summits Women Team」に属し、活動中。

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