「震災」――。
イベントの中で、この言葉が使われることは一切なかった。しかし、気仙沼市民会館の隣には仮設住宅が広がる。ものの5分、海の方向へ歩くと「被災地」が、ある。このイベントにとって、使われこそしなかったものの、「震災」がおおきなテーマであったことに疑いの余地はない。

2011年3月11日、生きることの価値や意味を根幹から問い直された人は多い。震災すぐに被災地に入り、未だ山積みである問題と闘う人々。日々の生活を送り、週末になると被災地へやってくる学生。CSRという言葉を飛び越えて、社会での役割を声高に発信し、アクションをはじめた企業。彼らを取り巻く空気は3.11以前の社会に充満していた閉塞感と比べ明らかに異なる。

しかし、この現状は満足してもいいものなのだろうか。首都圏内の大学生のボランティア参加人数は、約2万5000人。首都圏に暮らす全ての大学生の何百分の一だろう。

わたしたちは、感じている。社会がトランディションしていく音を。感覚的なものであるそれを、ある人は農業革命以来の転換点であると唱え、経済学者は資本主義の限界であると言う。変わりつつあるのだ。

そして、そのプロセスを、また変化の先を担うのは、紛れもない、わたしたちだ。わたしたちには、それを担う覚悟がある。しかし、まだ足りないのだ。もっともっと多くのパワーを巻き込まなければいけない。もっともっと「0を1へしなければいけない」。

0→1 Rock Festivalは、少し先の未来への、わたしたちの覚悟の提示。大きな変化へ、わたしたちは胸を張り、勇み足で進んでいく。そしてそのために、まだまだしなければいけないことは多い。わたしたちはこれからも、アクションで0を1へ変えていく。

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