「中小企業が他社と同じことをしても仕方がない。自社にしかできないことをしないと」。こう語るのは、服部ヒーティング工業(大阪市都島区)の服部榮市(はっとり・えいいち)社長(75)だ。「遠赤外線」という言葉がほとんど注目されていなかった1969年に、同社は産声を上げ、オリジナルのヒーター技術を工業や医療などの現場で役立ててきた。(オルタナS関西支局特派員=橋本翔一朗)

歴代首相の直筆色紙の前で笑顔を見せる服部榮市社長(大阪市都島区にある本社で)

社員は全員で12人だが、同社に営業職はいない。「ヒーターの技術ではどこにも負けない」(服部社長)という自信から、創業以来その姿勢を貫いている。数多くの製品をこれまでに生み出したが、最初に作ったのは二輪車用のハンドルヒーター。電気式では世界初だった。ニクロム線(語注1)のヒーター素子をハンドルに巻きつけたもので、次第にライダーから支持を得ていった。

80年には世界で初めて遠赤外線サウナを発売した。その他にも、69年にニクロム線に代わり開発した、金属をエッチング加工したものを発熱体に用いて、家庭用遠赤外線ヒーターを95年に製作。室内を均質に温めるとともに、火を燃やさないふく射暖房で安全で優しい温かさを実現した。

ヒーターを商材にした理由は幼少の頃の記憶にある。体の弱かった服部社長は、火鉢に当たることで体を温めていたという。服部社長は「熱に助けてもらったから、熱に関係する仕事で世の中の役に立とうと思った」と振り返る。決意は固く、30歳のときに勤めていた抵抗器メーカーを辞め、同社を創業した。

44年の歴史のなかには苦労や困難もあった。創業後しばらくはアルバイトを行い、40歳の頃には、突然の発注に対応するため78時間不眠不休で働いたことも。「困ったときに逃げてはいけない。信頼と感動を与えなければ」。その信念はいつも揺らがなかった。

97年からは、立命館大学と共同研究を始めた。大学生には、さまざまな人と出会い知見を広めること、自分の意志を貫き通すことの大切さを伝えている。現在は、より電力消費の少ない省エネヒーターの開発に取り組んでいる。90歳まで第一線で働き続けることが目標だという。服部社長の挑戦はこれからも続く。

(語注1)ニクロム…ニッケルとクロムを中心とした合金。電気抵抗が大きいため、発熱素子として、電気ストーブなどによく使われる。