ソニーは、テレビ普及率の低いコートジボワールでサッカーW杯のパブリックビューイングを行っている。この取り組みは、様々な部署から集まった若いエンジニアを含む有志社員たちが企画した。予算がないなか、それぞれの部署の上司にかけあい、機材や渡航費を調達し、W杯を途上国などに届けてきた。(オルタナS副編集長=池田 真隆)
ソニーがパブリックビューイングを行う国は、日本の対戦国でもある、コートジボワール。大会期間中、パブリックビューイングが行われるのは、同国の首都ヤムスクロや大都市アビジャン、さらには無電化地域など10カ所だ。およそ8000人の集客を見込んでいる。
パブリックビューイングに合わせて、JICAが社会的統合をテーマとした演劇やクイズ大会、サッカーマッチも行う。同国には約60ほどの民族がいる。政治的思想の違いで民族間の対立が頻繁に発生し、政府は最重要課題にとらえている。対立は、同国のサッカー代表チーム内にもあるといわれている。
JICAにとって、このパブリックビューイング企画には、サッカーを通して、民族間につながりを生み出す狙いがある。ソニーとしても、今後の重要な新興国市場の一角であるアフリカにおいて、サッカーを楽しむ体験をきっかけにコミュニティに根差した形でソニーのプレゼンスをあげていくことを重要なマーケティング上の施策の一つとして捉えている。JICAとともに同企画を立ち上げたソニーコンピュータサイエンス研究所シニアマネージャー・吉村司氏(58)は「試合や民族混合マッチが、つながるきっかけになれば」と話す。
■4800人にHIV検査
ソニーがパブリックビューイングをアフリカで行うのは3回目だ。1回目は、2009年コンフェデレーションズカップ。2回目は、2010年の南アフリカW杯で、コートジボワールの隣国であるカメルーンとガーナで実施した。無電化地域を含む19地域で26試合の中継や映像を200インチの巨大スクリーンで放映した。
参加者は両国合わせて24000人を超えた。カメルーンではUNDPと、ガーナではジャイカと連携し、会場でHIV検査を実施した。受診者は4800人に達した。サッカーが人を集め、ジャイカが地方で行うイベントに比べて、参加者数は約5倍、HIV検査受診者数は約3倍の好結果となった。
今回のパブリックビューイング企画に集まったのは、入社3年目の若手社員から部長クラスのベテラン社員まで、総勢70人ほど。呼びかけ人は、2010年のパブリックビュー企画のアドバイザーを務めた吉村氏だ。
吉村氏が動いたのは、企画を実施したいと強く願うジャイカ担当者からのフェイスブックメッセージがきっかけだ。2014年2月、仕事でバングラデシュにいた吉村氏のスマートフォンに、知人から、熱いメッセージが転送されてきたのだ。
その担当者は、コートジボワールでの開催を熱望した。同国は、ガーナやカメルーンと比べて、治安が悪い。
同国にある支部も2004年から2010年までは情勢の悪化が原因で活動を停止していた。文化的・政治的思想の異なる民族間の対立も多発するため、その担当者はサッカーの力で一つにしたいと、吉村氏に強く訴えた。
サッカーが、同国で1990年代から続いた内戦に終止符を打ったこともある。2005年にアフリカ予選を制して、W杯出場を決めた試合後、選手たちはカメラに対してひざまずき、メッセージを叫んだ。
「僕たちはさまざまな民族が共存してプレーできることを証明しました!お願いします、内戦をやめてください!選挙をしましょう」と。
チームには、エースFWのディディエ・ドログバ選手と昨季イングランド・プレミアリーグを制したマンチェスター・シティに所属するヤヤ・トゥーレ選手がいるが、南部と北部出身で民族が異なる。しかし、共存できることを世界に訴えたのだ。この映像が世界で多く流され、2007年には北部と南部で和平協定が結ばれた。
事態を把握した吉村氏は、さっそく仲間集めを開始した。同社で「アングラ」系な社員200人ほどが登録しているメーリングリストで呼びかけた。
メーリングリスト経由で集まってきた社員に、説明会を週に1回のペースで4回ほど開催した。
一方で、このプロジェクトの報告を受けたソニーのアジア・中近東・アフリカリージョンヘッドの横田泰英氏が、アフリカにおけるソニーのブランド認知向上や商品への関心を高めていくことに繋がるきっかけになると考えプロジェクト・オーナーとなり、3月には、プロジェクトとしての体制が整ってきた。
音響処理、マーケティング、撮影機器の販促などさまざま部署からメンバーが集まってきた。毎週水曜日夜7時に手弁当で打ち合わせを行い、ジャイカとの連携・企画立案・機材入手など吉村氏を中心として、順当にタスクを詰めていった。
任意で事務局を設け、会社から正式に企画として、予算をもらうべく動き出した。しかし、ここで行き詰ってしまう。現地への渡航費・宿泊費などを得ようとしたのだが、予算が降りなかったのだ。
すでにジャイカ側とは複数回の打ち合わせを重ね、実施する前提で準備も進んでいた。もう後戻りはできない状態になっていた。これは、W杯が開幕するわずか2カ月ほど前の話である。
■「ヒット商品は、机の下でつくられる」
前回のパブリックビューイング企画は準備期間が1年間あったため、十分に余裕を持って進められた。しかし、今回は開幕寸前まで、時間も資金もなかった。4月の時点で、まだ一度もコートジボワールに視察にも行っておらず、吉村氏も、「正直、無理かと思うこともあった」と告白する。
だが、吉村氏には、どこか根拠のない自信があった。それを持てたのは、ソニーでの勝ちパターンを実感値として持っているからだ。
「上司に見つからないように机の下でこっそり進めていた仕事から、ヒット商品はつくられる」
同社では、誰から命令されたことではなく、自発的に動いてできた成果物が、ヒット商品となった事例が多いと、吉村氏は言う。
今回のパブリックビューイング企画に集まってきた社員たちを見ていると、「昔のソニーを思い出した」(吉村氏)。
だが、現実問題として、コートジボワールへの渡航費と宿泊費がかかる。13人が同国を訪れるが、この費用は、それぞれの部署の上司に、行く価値をプレゼンして集めた。
サッカーやアフリカとは何の関係もない部署に所属している人が多かったので、プレゼン内容は工夫した。たとえば、カメラの販促を担当するDI事業管理部・柏康二郎氏(25)は、「アフリカの国で、サッカーに感動する子どもたち、その後ろに広がる広大な環境を最新のカメラで収めてきます」と、訴えた。
ほかにも、「人材育成の観点から、」「アフリカ進出の足がかりとして」、この訪問する意義を伝えた。
熱意のおかげか、上司からは、「そんなこじつけはいいから、素直にアフリカに行きたいと言えばいいのに」と真意を見抜かれ、即決した者もいる。
■パブリックビューイングの価値
仲間たちは、それぞれの部署の上司を説得し、出張として、コートジボワール行きが決まっていった。
人・機材・費用は揃った。5月末には、正式に会社からプレスリリースを出した。すると、彼らを取り巻く社内からの反応も変わりだした。柏氏は、以前は、「仕事終わりに、学生サークルのように集まって、何かよく分からないことをしている集団」とうがって見られていたが、「そんな面白い企画なら、おれも参加したかった」という声が増えてきたと言う。
6月初旬には、先発隊として、吉村氏らがコートジボワールを訪れた。無電化地域で、電気のインフラがない場所なので、同社から太陽光発電の長時間電源を持っていき、本番の最終確認をした。
同社は2014年度も最終赤字を見込むなど、業績不振が続いている。
この状況で、予算を回収できないパブリックビューを行うことにどんな価値があるのだろうか。もちろんアフリカはソニーにとって今後の重要なマーケットとして考えられるが、吉村氏個人の感慨としては、「本業以外で自分らしさを実感できたこと」が価値ととらえる。
「予算も人も、モノもないところから、みんな自発的に動き、打開策を考えていった。これが、本業につながるはず」。
吉村氏は現在58歳。同社には26歳から勤め、32年目となる。定年まで残り1年とわずかばかりだ。「私は、ソニーの子。昔は、思いついたアイデアを形にするべく、仕事終わりにこっそりとつくっていた。消費者の心を動かした商品には、作り手のこの気持ちが宿っている。今企画でかかわった後輩たちには、この気持ちを忘れないでほしい」と語る。