もういいかい?まーだだよ。白骨化してもまーだだよ。――これは、死んでもなお、故郷の墓に入ることが許されないハンセン病患者が自ら、その苦悩を詠んだ川柳だそうだ。今年1月、筆者は東京都東村山市にある国立ハンセン病療養所の一つである多摩全生園を訪れた。目的は、日本で初めて実名で自身の体験を書籍にした元ハンセン病患者の森元美代治さん(76)、美恵子さん(68)夫妻に会うこと。(横浜支局=細川 高頌・横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程3年)

*(ハンセン病についてはhttp://alternas.jp/study/global/56151を参照)

園内を案内してもらい、最後に4000人以上の元患者らの遺骨が眠る納骨堂に連れていってもらった。「ここに眠っているのは、最後まで故郷のお墓に入れてもらえなかった人たちなんです」。雪の降り積もる納骨堂の前で、美代治さんがそっと手を合わせる。

納骨堂の全景。多摩全生園(提供写真)

納骨堂の全景。多摩全生園(提供写真)

美代治さんは故郷の鹿児島県喜界島で、中学二年生のときにハンセン病を発症。以来、自身の病気や社会的差別と闘い続けてきた。実名を公表した理由について「差別のない社会に変えていくためにはきちんと実名を出して、責任を持たなければならないと思ったんです」と美代治さん。

美代治さんがあえて実名を公表したのは、かつて父が話してくれた言葉を大切にしたいとの思いがあったからだ。父は、美代治さんが療養所に隔離されて間もなく、主治医から名前を変えるかどうかと尋ねられ「私がつけた美代治という名前を大切にしたい」と実名を通す意思を示したという。

ハンセン病患者は、「本名がばれたら周りの人に迷惑がかかるから」と自ら名前を捨てる人もいれば、家族や社会からの圧力により半強制的に捨てざるをえない状況に追いやられた人もおり、今も多くの人が偽名で生活している。

横浜国立大学で講演する森元美代治さん(提供写真)

横浜国立大学で講演する森元美代治さん(提供写真)

「私が最も尊敬しているのは父と母です」美代治さんが誇らしげに語った。「私の父は貧しい農家の出で、学も地位もない」「しかし、今まで自分を差別してきたのは世間ではエリートと言われている人が多かった。最終的に人間の人格を決めるのは、やはりその人の心なんです」。

実名を出したことで、親族から「お前のせいで親戚みんなが迷惑している。青酸カリを飲んで死んでくれ」という心無い非難も受けた。それでも美代治さんは、差別を無くすために今も世界中で講演活動を続けている。

「ハンセン病も水俣病も原爆、原発の被害者に対する差別も根本的な構造は同じ。ハンセン病への差別について考えることは様々な差別行為を無くすことにつながる」と、美代治さんは訴えた。

森元さん夫妻が経験してきた詳細は『証言・日本人の過ち―ハンセン病を生きて 森元美代治・美恵子は語る』[人間と歴史社 (1996/08)]で。

[showwhatsnew] kanban2
unnamed
コミュニティーから考える未来の都市・ライフスタイルマンション
banner600_200
オルタナSキャンパス支局募集中!