横浜支局の細川高頌さんの記事一覧です。

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細川 高頌(横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程3年)

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トンガに普及 日本のそろばん教育

「テウテウカマタ!(よーい始め! )」――トンガ語の開始合図とともに、会場内には子どもたちの珠を弾く音が響き渡る。どの子どもたちの表情も真剣そのものだ。

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捨てられた街、前を向けない人

日曜日にもかかわらず、駅まで続く大通りには数台の車が通ることはあっても、人影はほとんどない。雲で覆われた空から降る小雨が、まちの雰囲気をより一層寂しく感じさせた。
福島県南相馬市南部に位置する小高地区は、福島第一原子力発電所から20キロ圏内に位置している。同地区は2012年4月の区域再編で避難指示解除準備区域に指定された。避難指示解除準備区域では、特別な許可がなければ泊まることはできないが、日中は自由に出入りでき、会社や店の営業も許可されている。

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「僕らの漫画」誕生秘話 信濃川日出雄氏に聞く

「自分たちにできることは漫画を描くことしかない」――震災直後、その思いに共感した有志の漫画家と編集者が集まり、東日本大震災チャリティー漫画「僕らの漫画」が制作された。顔を合わせたことがない27人の漫画家が集まり、28作品が生まれた。2013年3月時点で売上額の約307万円が、震災遺児・孤児の学業支援として寄付された。中心メンバーの一人である漫画家の信濃川日出雄さんに呼びかけたきっかけを伺った。

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言葉の分からない地での隔離生活、「この悔しさを差別撤廃へ」

森元美恵子さん(68)(旧姓:川崎美恵子さん)は、第二次世界大戦当時、日本兵としてインドネシアに出兵していた父と、インドネシア人の母のもとに生まれた。その後父は日本に帰還し、美恵子さんはインドネシアで母と暮らすことになる。1966年、「父に会いたい」という思いもあって、美恵子さんは19歳で日本に留学。だが、来日2年目の1968年にハンセン病と診断され、東京都東村山市の多摩全生園へ隔離された。

ハンセン病の療養所

「本名を捨てざるを得なかった人たちがいたことを知っていますか?」 元ハンセン病患者に会いに

もういいかい?まーだだよ。白骨化してもまーだだよ。――これは、死んでもなお、故郷の墓に入ることが許されないハンセン病患者が自ら、その苦悩を詠んだ川柳だそうだ。今年1月、筆者は東京都東村山市にある国立ハンセン病療養所の一つである多摩全生園を訪れた。目的は、日本で初めて実名で自身の体験を書籍にした元ハンセン病患者の森元美代治さん(76)、美恵子さん(68)夫妻に会うこと。