日本財団は1月25日の「世界ハンセン病の日」に向けた「THINK NOW ハンセン病」キャンペーンの一環として、日本の回復者の声を届けている。第一弾は鹿児島県の星塚敬愛園の上野正子さん。(文・日本財団=富永夏子)
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「いま私は13歳です」
鹿児島県にある星塚敬愛園に74年間入所している上野正子さんは、1927年4月18日、沖縄県石垣市生まれの87歳です。それなのに「いま私は13歳ですよ」とおっしゃるのには深い意味があります。
日本ではハンセン病の患者を隔離する政策「らい予防法」が1996年まで続きました。98年にはハンセン病政策に対してハンセン病の回復者たちが国を相手取り、国家賠償請求訴訟を起こしました。その原告団の1人として立ち上がったのが上野さんです。
そしてその活動の末、2001年5月11日に国が違憲と認め、謝罪しました。「私にとっては2001年5月11日が誕生日です。裁判で勝訴して、本名を名乗れたのがこの日なのです。だから13歳。入所してからずっと須山八重子という偽名で生きてきました。本当に辛いことでしたよ」と話してくださいました。
1940年、13歳の時に父親に連れられて来た星塚敬愛園で、上野さんはハンセン病と診断されました。翌朝起きると、一緒に来たはずの父親がいなくなっていました。親に捨てられたと思い、声が枯れるほど泣きわめきました。
しかし、本当は娘との別れが辛いと、心を鬼にして帰ったということを何十年も後に知ったのです。上野さんが最も辛かったことの一つと話すのは、園内で結婚した夫が不妊手術を受けたことです。手術を受けないと夫婦舎に入れないと言われたために、夫が上野さんに内緒で手術台にあがったことを後から聞き、「夫と共に社会に戻って、普通の生活をして子どもを産み育てることができると信じていたのに」と大変なショックを受けたそうです。
家族にも受難がありました。商売をしていた上野さんの実家では、あの店のものを食べると悪い病気になるという噂が流れ、倒産しかかったと言います。
いまだに家族に迷惑がかかるからと、父母のお墓参りもできていないそうです。今、上野さんは偏見や差別のない世の中のために、様々な年代の子どもたちに自分の人生から得た教訓、特に命の大切さを語り伝えています。ハンセン病という病気になっただけで不公平な人生を生きてきた彼女だからこそ伝えられるものは大きいと感じます。
彼女のカレンダーは講演予定でぎっしりです。
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