東北1の人口密度・交通量を誇る史都・宮城県多賀城市は、被災経験を伝承していくための事業を行っている。同事業では、東日本大震災前に起こった災害の記録から現在に至るまでの地域ごとの写真、映像を細かく記録している。未来の「安全」に向かって、歩み出している。(学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト支局=大朏衣梨・武蔵大学社会学部メディア社会学科3年)

「たがじょう 見聞憶」のサイト

「たがじょう 見聞憶」のサイト

筆者たち、学生(学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト支局=天野太陽、内山 武・武蔵大学社会学部メディア社会学科3年)は4月17日、宮城県多賀城市役所に取材をしに訪れた。この活動は、同学科の学生たちが所属する「学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト」の活動の一環。

今回は、宮城県多賀城市役所総務部地域コミュニティ課副理事(地域コミュニティ課長)の小野史典さん、広報広聴係係長の滝口光江さん、広報広聴係 主事の加藤真優子さんに「震災アーカイブ事業の多賀城市震災経験・記録伝承事業『たがじょう見聞憶』」について、話を伺った。

多賀城市は東北1位の人口密度、交通量が非常に多く、ベッドタウンとして位置づけられている。震災後、都市型の津波が多賀城市を襲い、浸水面積は市域の3分の1、約90%が市街地であった。

市は2011年12月に多賀城市震災復興計画を立ち上げた。減災のためにアーカイブを活用していきたい、という多賀城市と国立大学法人東北大学災害科学国際研究所の思いが重なり、2013年2月に協定が結ばれ、「多賀城市震災経験・記録伝承事業『たがじょう見聞憶』」がスタートした。

「たがじょう見聞憶」には、東日本大震災前に起こった災害の記録から現在に至るまでの地域ごとの写真、映像が細かく記録されていて、思わず見入ってしまう。ここまで多くの写真、映像が残されているのは、多賀城市のある思いがあるからだ。

その思いとは、ただアーカイブをみるだけでなく、それらを活用してほしいというものだ。以前、マップをみながら被災した場所まで歩く「街歩き」というイベントが行われた。このように、アーカイブをみて行動に繋がることが求められるのだ。

「たがじょう見聞憶」をみて、今後どのように活用し、どのように伝えていくのかを考えよう。「たがじょう見聞憶」をきっかけに何か新しい道が切り開かれていくはず。 そこにアーカイブの存在の意味がみえてくるのだと思うから。

ここまで沢山の記録が今存在しているのは、多賀城市の職員、市民が一丸となって、震災後間もない時期から記録し続けた結晶であり、現在も記録し続けている。

今後、さらに記録が蓄積されてゆく「たがじょう見聞憶」がどのように活用されてゆくのか。もっと多くの人に「たがじょう見聞憶」を知ってほしい、みて、感じて、何かにつなげてほしいと心から思った取材であった。

■千年先の人々に伝えたいこと

宮城県多賀城市役所

「とにかく自分の命を守る。それに専念してほしい」 
多賀城市総務部副理事(地域コミュニティ課長) 小野 史典さん(右)

「宮城は30 年に一度は地震が起きる土地であり、過去の地震を知ってもらいたい」
多賀城市総務部地域コミュニティ課広報広聴係 係長 滝口 光江さん(中央)

「マニュアルを守りすぎず、自分の命を守るための行動をそれぞれがしてほしい。利害関係なく人が人を助ける行動、全国からいただいたご支援など人々の純粋な気持ちをたがじょう見聞憶を通して伝えたい」
多賀城市総務部地域コミュニティ課広報広聴係 主事 加藤 真優子さん(左)

◆たがじょう見聞憶HP
http://tagajo.irides.tohoku.ac.jp/index

◆多賀城市HP
http://www.city.tagajo.miyagi.jp/index.html

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