シリアは石油産出国ではあるものの、精製は他国でして再輸入をしている。そのため、原油高というのはマイナスに働く(オイルマネーで潤っている人たちもいるが、それはごく一部である)。加えて、イラクからの難民マネーという動きも加わった。今まではシリア政府の努力で、市民の足には影響が出ないように、値上がりを抑えていた。

しかし、それも限界に来たのだと言う。ガソリンは一斉値上げをして、1リットル30SPから40SP(約80円)へ。新任教師の給料が2万円の国で、この値段は割高だ。そうして、バスやセルビスの値段は倍になった。便乗値上げも相次いでいるらしく、インスタントラーメンの値段が1.5倍になった。

アレッポ発のセルビス乗り場

アレッポ発のセルビス乗り場

そんな中、ダマスカスに続き、ここマンベジのスークでも物乞いに会った。その時、僕はどう向かい合ったら良いんだろう?悩んでいたある日、高橋歩『Love & Free』という本を読み、ひとつの答えを得た。いわく、「触れてみて、壁が崩れた」・・・路上で眠っていた人に対して持っていた「貧しくて可哀想な人たち」という偏見が、マザーテレサの家でボランティアをしたことで崩れて言ったという話だ。彼らも人生を楽しんでいるし、「路上で眠るって、意外に涼しくて心地よい」と。

ルポライターの石井光太の著作で、「物乞いはひとつの職業でもある」という旨の文章を読んだことがある。「物乞い=可哀想」という偏見だけで世界を見ないで、自分から触れてみようと思う。推測することは大切かもしれない。だが、肝心なことは踏み込んでみないと分からない。それは、一緒の場所で住む僕ができることの一つだろう。

(シリア通信2008年5月号より)

※執筆当時はこのように書いていますが、2年間住んで、実際のところ、シリアにはほとんど物乞いがいませんでした。路上生活者ということで言うなら、圧倒的に日本の方が多い印象を受けました。

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