福島第一原子力発電所事故により休止中のJR小高駅からすぐ、「釣り具」という看板が目印のそのお店は、もうなかった。さら地になったその場所に、見覚えのある後ろ姿が、寂しそうにたたずんでいた。「店は閉めた。今は後ろの土地に、母ちゃん(妻)と暮らすための家を建ててるとこ」。2年ぶりに会った新開喬さん(79)は、積み上げられた新居の土台を見ながらつぶやいた。(横浜支局=細川 高頌・横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程4年)
福島県南相馬市南部に位置する小高地区は、今年4月の避難指示解除に向けて準備を進めている。だが、2014年に南相馬市が行ったアンケートによると、小高への帰還を望んでいるのは、人口約1万3千人のうちおよそ40%に過ぎない。さらに、帰還を望んでいても、地元での雇用の少なさや、生活環境が整っていないことなど、現実的な問題で帰還できない人もいることから、実際に帰ってくる人はさらに少なくなるのではないかと新開さんは考えている
筆者は2年前の2014年6月、初めて小高を訪ねたとき、新開さんはお店で3人の友人と談笑していた。「店閉めたから、もうみんなで集まる場所もなくなっちまった」。約50年営んできた釣具店は、メインの客層だった若者や漁師が小高の海に帰ってくることはないだろうと、店をたたむことを決めた。
長い仮設住宅での暮らしからか、長年営んだ店を閉めた脱力感からか、新開さんの顔には疲労の色が見える。「そりゃあ悔しいよ。でもこの悔しさをどこにぶつければいいか分かんねえんだ」。自治体の説明会では、帰還に関する質問をしても、いつも同じ、マニュアル通りの答えしか返ってこない。市の職員や市長に問い詰めても、「こちらも精一杯やっている」と言われるだけ。「でも、その気持ちも分かんだ。本当に責任を取らなきゃいけねえのは、国の行政だと俺は思ってる。でも、国の人間はこの場所に来ねえ」。行き場を失った悔しさが、新開さんの胸を締め付ける。
「仮設(住宅)ではずっと孤独。人間孤独になると、しゃべらなくなんだ。想像できねえだろ」。2年前の新開さんの言葉を改めて思い出す。その状況は、今も変わらない。「今さら新しい人付き合いなんて始めらんねえ。慣れない土地での生活も無理だ。この場所に帰ってくるしかねえんだな」。新居を建てるお金があれば、金銭的にはもっと楽な生活ができる。それでも、新開さんの選択は、お金よりも住み慣れた小高の場所に戻りたいというものだった。
「ふるさとはどんな場所ですか」
新開さんに最後に聞いてみた。
「守るべき場所。自分の兄弟や、今は茨城で暮らしている子どもたちが、いつか小高の街に戻りたいと思ったときに、自分が育った場所や帰る場所がないというのは悲しいことだ。だから俺はこの場所を捨てることができねえんだ」